あの許永中が憧れた武闘派ヤクザ「殺しの柳川」を知っているか

在日として生き、日韓の間に立った男
竹中 明洋 プロフィール

「柳川の時代」からの日韓の変化

柳川が生きたのは、個人と個人の繋がりが国家を動かす時代だったとも言える。植民地支配を巡る日韓の断層はあったが、双方の国民が戦争体験を共有していた。朝鮮半島からの引き揚げ者も多かった。逆に、日本語教育を経た韓国人の政治家も多く、人的交流も豊かだった。前出の中曽根訪韓では、青瓦台の迎賓館で開かれた晩餐会で、中曽根はスピーチを韓国語で始めた。

「ヨロブン、アンニョン、ハシムニカ(みなさま、こんばんは)」

中曽根のスピーチは会場を沸かせ、参列者のなかには感激のあまり涙を流す者までいたという。中曽根の隣に座っていた全斗煥は、「中曽根さん、俺、あんたに惚れたよ」と日本語で伝えた。

 

いまや隔世の感がある。柳川が地位を向上させようとした在日社会への差別は依然残る。いや、昨今のヘイトスピーチをみる限り、ある側面では悪化しているとさえ言えるだろう。この本の取材を続けた時期は、日韓関係が戦後最悪に陥っていく時期と重なった。

とりわけ昨年10月に韓国の最高裁にあたる大法院がいわゆる徴用工をめぐる訴訟で、新日本製鉄に対し損害賠償を命じる判決を出してからは、対立は深刻化しており、ついに7月4日から日本政府が半導体材料の輸出規制の強化を発動する事態にまでなっている。

柳川ならいまの日韓関係になにを思うだろうか。本の執筆を終え、筆をおいたとき、そんな問いが静かに沸き上がった。