夏の定番「怖い話」がイマドキっぽく変化している深〜いワケ

怪異は人間社会を映し出す鏡だ
朝里 樹 プロフィール

加えて興味深いのは、動画用のカメラが一般の人々に普及するようになると、写真だけでなく動画に霊が現れるケースが格段に増えたことだ。

簡単に動画を撮ることができる携帯電話やスマートフォンの登場、さらにYoutubeなどの動画投稿サイトの発展が後押しし、Youtuberに象徴されるような、個人が気軽に動画を投稿できるようになると、サイト上には霊の現れる動画が次々と投稿されるようになった。

このように、技術が発展すればそれに合わせて怪異も進化していくことが分かる。

 

時代と共に姿を消す怪異たち

一方で、社会の変化により語られなくなり、終いには姿を消した怪異もある。

待つ、かなう、ーー宗(そう)」は、かつて駅にあった伝言板にまつわる怪異だ。最終電車が通り過ぎた後、伝言板にこの言葉が記されており、これを見た人はその意味を理解できないと呪われてしまうとされていた。

これは、繋げて読むと「真っ赤な嘘」となり、まったくの虚構であることが分かる仕掛けとなっている。しかし駅の伝言板そのものが、21世紀に入った頃にはすでにほとんどの駅で見られなくなり、この怪談が語られる余地も同時に消えていくこととなった。

こういった変化は、怪談の定番パターンにも影響を及ぼしている。

たとえば「海から伸びる白い手」という怪談がある。若者たちが海に遊びに行った際、一人の青年が海に飛び込んだまま帰ってこなかった。そこで後日、彼の飛び込みの瞬間を捉えた写真を現像したところ、そこに写っていたのは、彼を海へと引きずり込もうとするかのように伸びる無数の白い腕であった、という怪談だ。

Photo by iStock

これは今のようにデジタルで写真が撮れる時代ではなく、ポラロイドカメラでもなければ写真を撮った後は、専門の店舗や設備を利用し、現像しなければどのような写真が撮れたのか分からなかった時代だからこそ、生まれたと言える。

ただの事故と思われた青年の死が、後に怪異の仕業だったことが分かるという展開になっている。しかし、近年のように撮影した直後にその場で写真を確認できてしまうとなると、このギミックが通用しない。ゆえにこの怪談は、最近では「かつてあったこと」という過去の文脈で語られることが多い。