あなたが法的紛争に巻き込まれたときに困らないために

『民事裁判入門』を特別公開
瀬木 比呂志 プロフィール

さて、先にまとめたことを国民という観点からみるなら、日本人は、一般的・平均的な教育水準やマナー、モラルは高く、ことに、美的センス、職人的テクノロジー、自然科学等においてはすぐれている反面、法的・制度的(また政治的)リテラシー、すなわち近代法の理解や近代的な制度の作り方に関する理解・技術は、たとえば少なくとも中欧・北欧の先進諸国に比べれば低いし、そうした事柄に対する基本的な知識・感覚も限られている、そういうことになるだろう(先に論じたような、「人々の法意識と裁判・法学との間の『ずれ・溝』」という問題をいいかえると、そういうことになる)。

そして、近代以降の国家・社会が法的・制度的な仕組みを基本として組み立てられていること(日本人の多くはこのこと自体をあまりよく認識していないのだが)を考えるなら、「法的・制度的リテラシーの相対的な低さという問題」は、日本人・日本社会が今後克服すべきいくつかの主要な課題のうちの一つであることに、間違いはないと思われる。

本書は、民事訴訟に関する入門書ではあるが、先に挙げたような書物や今後僕が執筆するだろう広い意味での法や社会に関する一般書・専門書同様、この「法的・制度的リテラシー」の向上ということをも念頭に置きながら書かれている。

日本人にとって、訴訟は「何だかよくわからない、あまり関係したくないもの」であるのが普通であり、また、その経験後も、「不可解な部分の多かった、いずれかといえば不快な体験」として記憶されることが多い。そのことについては、もちろん、日本の司法、ことに裁判官や弁護士の問題があるが、同時に、人々が主体的に訴訟に向き合いこれと関係することができていない、という問題も確かに存在する。

本書は、後者の問題の解消のために、一定程度役立つはずである。

④ 訴訟のための基礎的知識・感覚が得られ、高度な訴訟戦術の理解も可能になる。

民事訴訟の内容は千差万別であり、類型的な事案で相手方がほとんど争わないような場合には、当事者本人でも対処できることがある。また、被告側になる場合には、ことに争う余地に乏しい事案では、弁護士を委任しない例も多い。

このように本人がみずから訴訟を行う場合には、訴訟に関する具体的な知識や訴状等の各種書類の書式については、インターネット、また、そうした要請に応えるためのハウツー的な書物等で得るのが普通だろう。

しかし、そのような作業の前提として、まずは民事訴訟全体の体系的な理解が必要である。本書は、そのような「最初の基本的理解を得たい」という要請にも応えうると思う。

一方、僕の専門書群を一つの基盤にしつつ新たな考察をも加えた本書の記述の中には、かなり高度な訴訟戦術に関する部分も相当に含まれている。

もっとも、実際に訴訟にかかわる際に弁護士に委任するかあるいはみずから本人訴訟のかたちで行うかについては、慎重な考慮が必要だ。民事訴訟は、基本的にはやはり専門家がかかわるものとして設計されているから、素人が対処できる範囲には、おのずから限界もある。この点については、本文中で詳しく論じる。

⑤ コミュニケーション、プレゼンテーション、書くことなどに関する技術を学べる。

僕の基本的な考え方はプラグマティズム(アメリカ型経験論に基づく哲学的方法)である。これは、各種のイデオロギーからは距離をとりつつ、事実を重視し、広い視野からその客観的な意味づけを行い、また、異なる考え方との間に橋を架けようと試みる思想、思想的方法だ。

本書、ことにその中核部分は、そうした観点から、コミュニケーション、プレゼンテーション、書くことの実践的な技術を説くものともなっており、そうした観点からも、法律家や訴訟に興味をもつ人々のみならず、ビジネスパースンや一般学生にも広く参考にしていただける部分があるはずだと考える。  

本書の記述も、僕のほかの書物同様、「わかりやすく、明確、正確で興味深い記述」を心がけているが、記述されていることの内容は、先のとおり、一定程度高度なものを含んでいる。法律を学ぶ学生や法律実務家(以下、単に「実務家」という)・学者等にとっても意味のある内容となっているのである。

したがって、それをするか否かは読者の御自由だが、一部だけをピックアップして飛ばし読みするような読み方は理解を不正確にするおそれがあることは、お断りしておきたい。総体としての民事訴訟の、トータルな、広い視野からの有機的理解を念頭に置いた書物であるからだ。もっとも、書物後半中第10章ないし第13章(ことに第10章)のうち比較的専門的な部分については、当面訴訟にかかわってはおらずそうした事項にそれほどの興味がないという読者は、とりあえず後回しにしていただいてもかまわないと思う。

逆に、通読の後、興味のもてた章や理解が難しかった章を折にふれ読み返していただくなら、あなたの民事訴訟理解、法的リテラシーは、確実に高まるはずである。