街中を気づかれずに歩きたい

「今後の目標をお聞かせください」

遠藤氏に尋ねられた。

「そうですね。まだ7メートルほどしか歩けていないんですけれども、もうちょっと歩けるようになって、街中を『乙武だ』と気づかれないくらいにスタスタと歩けたらいいよね、とプロジェクトメンバーと盛りあがっています。ただ、ほんとうの話をすると……」

一息つく。

「ほんとうにスタスタと歩けるようになったら、変装して週刊誌の目を欺きたいなと思ってます」

あまりに真面目な話が続くと、ついふざけてしまいたくなるのが悪い癖だ。

私はこのパネルディスカッションの最後に、義足プロジェクトの意義をまとめてみた。

「登壇者を見ても会場のみなさんを見ても、眼鏡率は5割ぐらいでしょうか。みなさんにとって眼鏡はとても当たり前のものですから、眼鏡のテクノロジーってすごいよねとは言わないし、目が悪いことを障害とも言いませんよね。

義足がもっと進化したときのことを想像してみてください。義足がいまの眼鏡のようにおしゃれになって、価格も誰もが簡単に買える程度になって、つまり義足が眼鏡やコンタクトレンズのようになったら、足がないことを誰も障害だと言わない時代が来るかもしれない。そういうプロジェクトに参加しているんだということを、私も登壇しながら学ばせていただきました」

「私、あれ見て泣いちゃった」

じつは、会場に母を招待していた

彼女はこれまで私の仕事には一切興味を示さなかったし、私自身も自分の仕事を積極的に伝えようとはしなかった。しかし、母は義足プロジェクトにだけはなぜか興味津々なのだ。じつは蔵前の「オキノスポーツ義肢装具」で、はじめて義足を履いて歩いたときの動画をLINEで送ったのだが、のちにこう告白されたのだ。

「私、あれ見て泣いちゃった」

四肢のない私と初めて対面したときに「かわいい」と声をあげた楽天家の母が、私の義足で歩く姿に涙したというのだ。

母親に三輪車を押してもらう乙武氏 

「なんだかすごく『ああ、この子は障害者だったんだ』って感じたのよね。でも、なんでそのことに、いままで気がつかなかったんだろう」

不思議そうに頭を傾げる母に「生意気だったからじゃない」と返すと、笑いながら納得していた。

たしかに私は子どものころから、自分を「障害者」だと意識せずに生きてきた。それは障害に起因する困難をそこまで感じることなく生活してきたせいだろうと思う。たいていのことは自分でできたし、どうしてもできないことは両親や友人たちが自然に手助けをしてくれた。それが、今回の義足プロジェクトでは「歩く」という、まさに障害に起因する困難に立ち向かっているのだ。

そんな姿が、母には新鮮に映ったのかもしれない。

このシンポジウムを経て再認識したことがある。それは、このプロジェクトの成否はひとえに私が歩けるようになるか否かに掛かっているということだ。

しかしまだ、7.3メートルしか歩けない

蓄積する疲労で、私の腰が悲鳴を上げているのも気がかりだ。

私ははたして、長い距離をスムーズに歩けるようになるのだろうか。

構成/園田菜々

次回は7月21日公開予定です

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