公文書とは何か…「薬害エイズ事件」の文書が与えた大きな影響

公文書問題30年史(1)
三木 由希子 プロフィール

郡司ファイルとは何だったのか

行政文書の定義に少なからず影響した「郡司ファイル」は、1996年当時は重大な文書とされ国が謝罪し和解する理由にもなったが、いったいこの文書が何であったについては、のちに検証され、郡司氏自身も書籍(『安全という幻想: エイズ騒動から学ぶ』)で表すことになった。

ジャーナリストの魚住昭氏が自身のウェブサイトで採録・公開している週刊現代「ジャーナリストの目」でも、郡司ファイルがどのようなものであったのかが触れられている。

それによると、「実は厚生省の新庁舎ができたとき、職員たちは「机の上に物を置くな。日常、使わない物は(新設の)倉庫に入れろ」と指示されていた。その倉庫から見つかったファイルの中身は雑多なメモや新聞記事だった。メモは、課内のスタッフが議論のために書いたのを直ちに捨てるのも気が引けるので、郡司篤晃課長がファイルしておいたものだった」とある。

魚住氏は、「つまり『郡司ファイル』は隠されていたのではなく、単なる『ごみファイル』だったのである」とまとめているが、これは、「行政文書」に関わる議論が濃縮されたような話だ。

「郡司ファイル」の一部

郡司氏は部下からメモを示されていたので、部下のメモや参考資料としとして共有されたものは、職務上共用された文書に当たる。

また、ファイルは適切に管理されずに倉庫に放置されていたとしても、共用部分にファイルが保存されていれば、必要な場合に組織的に用いることができるものとして保管されていることになる。郡司氏の意図は関係なく、組織的に用いられる文書としての形式を満たしていることになる。

 

このような郡司ファイルの状態が、部会での行政文書の定義の議論で多分に意識されていたことを示すのが、行政情報公開部会の部会長代理だった塩野宏東京大学教授(当時)は、情報公開法要綱案発表後すぐの対談だ。

塩野教授は、「わざわざ『用いるもの』と書いてあるのは、その人が忘れていったかどうか主観的なものは問わない。役所という公用物の中にそういったものが置かれてある以上は。それは組織的に用いるものとして見ざるを得ないということ」だと述べている(奥平康弘・塩野宏「対談 情報公開法制定むけて」(『法律時報』1997年1月69巻1号)。

郡司ファイルは、まさに役所という公用物の中に置かれていたものだというわけだ。