公文書とは何か…「薬害エイズ事件」の文書が与えた大きな影響

公文書問題30年史(1)

「公文書」をめぐる30年

2016年の現上皇の退位発言を受けて天皇退位の議論が始まり、2017年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立。天皇の代替わりが決まったこの時期、政府の公文書管理に対する不信感を招く問題が相次いだ。

2017年に入って間もなく、財務省が森友学園交渉記録を、陸上自衛隊が南スーダンPKO派遣日報を、いずれも1年未満保存文書のため短期間で廃棄済みだからないとして大問題に。

結局、のちに短期で随時廃棄できる1年未満という保存期間を悪用して、存在する公文書の隠ぺいを図っていたことが発覚して、さらに大きな問題になった。

〔PHOTO〕gettyimages

加計学園問題では、獣医学部新設を推進したい内閣府が「総理のご意向」などと言ったと記録された文科省から流出した文書を「怪文書」とする菅官房長官の発言を受けて、公文書とは何かに関心が集まった。

そして、森友学園では決裁文書の改ざんという前代未聞問題も発生。何が公文書なのか、その公文書はどう管理されるべきなのかという、公文書管理法も制定された今になって、基本的なことが問われることになった。

 

1989年から続いた「平成」という時代を「公文書」から見ると、10年ごとに大きな変化があったと言える。

最初の10年間で、「公文書」とは何かという枠組みが整理され、次の10年は、1999年に制定された情報公開法によって外部から情報公開が求められるようになり、何を公文書として残すかが意識されるようになる。

それまでは行政内部の必要性で文書が残されていたが、公文書と個人メモ、個人文書をわけることが意識的に行われるようになる。

最後の10年は、2009年の公文書管理法制定によって、公文書が「国民共有の知的資源」と位置付けられる一方で、一定の法的義務が管理に発生するため、何を公文書として残すか、何を公文書とするかがこれまで以上に重い問題になった。同時に、政府の公文書管理が社会的関心の対象にもなった。

平成が終わった2019年は、情報公開法制定から20年、公文書管理法制定から10年の節目でもある。30年かけてたどり着いたのが、政府の公文書管理への不信感が募るさまざまな問題の発覚であった。

情報公開制度や公文書管理制度の動きをこの大半の期間、同時代的にその一端を見て、時にはその一部にいた筆者としては、何を変えられなかったのかを振り返る必要性を感じている。

そこでまず、今の「公文書」という考え方が、どのように形づくられたのか、最初の10年を振り返ってみたい。