写真:山本晧一

あの田中角栄をも呑み込んだ「昭和の政争」生々しき記録

情報統制と裏切りの政治史

田中派「常識破りの人事」の裏側

本書が描かれた時期に、私は自民党田中派を担当していた。元首相・田中角栄と何度も会い、「田中支配」を内側から壊すことになった「創政会」、それに「竹下派」結成時も取材し、自分では「生き字引」のつもりでいた。しかし、本書『昭和政争1 闇将軍・角栄最後の1000日』(中村慶一郎著)を読み進めるうちに自信は打ち砕かれた。

派閥を担当していると、派閥の日々の動きを取材するのに追われる。当時も頻繁に行われていた政治資金集めパーティーに出席して弁舌を振るう田中を追い掛けるだけでなく、田中周辺、田中と接触した人たち、田中派議員を懸命に取材した。

当時の田中派は「秘密結社」のようで、入り込みづらいところで有名だった。ロッキード事件などで厳しい批判を浴びていたからだろう。結束が固い半面、マスコミに対する警戒感が極度に強かった。

さまざまなバリアを突破して得た情報は厳重に自己管理した。政治取材では、取材先の国会議員から聞いた話を「情報メモ」として残し、部内で共有するシステムになっている。しかし、私はメモを作成しても提出せず、とくに重要な問題についてだけ政治部長や平河(自民党)記者クラブキャップに報告するだけにとどめた。

 

話が漏れたなら、犯人探しが始まり、犯人とされると「村八分」のようになってしまう。派閥が全盛だった時代、記者も担当派閥にどっぷりと浸かり、田中派ほどではないが、派閥の機微に触れる話は漏らさなかった。だから、担当記者はそれぞれ、「たこつぼ」に入ったような状態だった。

本書が優れているのは、田中を描くのに田中やその周辺を取材するだけではなく、田中の支援で首相の座に就いた中曽根康弘、鈴木善幸、大平正芳や、田中の政敵だった福田赳夫、三木武夫ら首相経験者に当たり、幅広い情報を得て、田中の姿を多方面から照射していることだ。

私が知らなかったことを幾つか記そう。

中曽根政権がスタートした時、官房長官に田中派の後藤田正晴が起用され、自民党内に激震が走った。時の首相は、官房長官には自分の派閥から信頼する腹心を起用するのが常識だった。たとえば、中曽根より前の鈴木内閣では宮沢喜一、大平内閣では田中六助、伊東正義、福田内閣では園田直、安倍晋太郎と、いずれも首相の派閥の幹部だった。

首相在任時の中曽根康弘(Photo by gettyimages)

常識破りの人事に、私たちは当然、なぜ後藤田が起用されたか、を取材に走った。その時、田中の秘書だった早坂茂三から「あれは、中曽根から請われたから出したんだ」と説明され、確かに中曽根と後藤田は同じ内務官僚出身だとひとり合点していた。

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