photo by iStock

誰もが毎日一度は口にしている「カッコいい」とは、どんな意味か?

定義が難しい、ふしぎな言葉
小説家の平野啓一郎氏が来週いよいよ、『「カッコいい」とは何か』(講談社現代新書)を刊行する。ふだん私たちが繰り返し使っている「カッコいい」とは、そもそもどういうことなのか? それがわからなければ、20世紀後半の文化現象を理解することなど出来ない。

意外に新しい言葉

『「カッコいい」とは何か』は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている

 

今日、「カッコいい」という言葉は、誰もが日常的に使用しており、今更、その意味など教えてもらうまでもないと思われるかもしれない。「カッコいい」とは、つまりは「カッコいい」ことじゃないかと、説明抜きに了解されているであろう。

しかし、この言葉は意外に(?)新しい言葉である。

「カッコいい」が、現代語辞典に登場するのは、ようやく一九九〇年代のことで、一般的な言葉として普及したのは、実は一九六〇年代である。半世紀以上前の日本人は、何かにつけて、「カッコいい」と言ったりはしていなかったのである。

本当だろうか? 現代の私たちの感覚では、この言葉を一切使用せずに会話が成り立っていたというのは、ちょっと想像しにくいところがある。戦前にも、あるいは江戸時代や戦国時代にも、「カッコいい」ものくらいはあっただろう。それらを一体、何と評していたのだろうか。

作家の野坂昭如は、一九六八年に、次のように語っている。

「カッコいい」という言葉のつかわれ出したのは、ほぼテレビの普及と時を同じくしていて、テレビ関係者の中から生れた、一種の方言である。昭和三四年頃、ぼくは坂本九が、この言葉を、すでに「カックいい」とくずして口にし、なんのことかと、奇妙に思ったことを覚えていて、「カッコいい」はまた、テレビ界の生んだ、その方言の第一号であるかもしれぬ。

これが、当時の認識である。

もう一つ、三島由紀夫の「森鴎外」論(『作家論』一九六四年─)の一節を例に挙げておこう。

どんな時代になろうと、文学が、気品乃至(ないし)品格という点から評価されるべきなら、鴎外はおそらく近代一の気品の高い芸術家であり、その作品には、量的には大作はないが、その集積は、純良な檜のみで築かれた建築のように、一つの建築的精華なのだ

現在われわれの身のまわりにある、粗雑な、ゴミゴミした、無神経な、冗長な、甘い、フニャフニャした、下卑た、不透明な、文章の氾濫に、若い世代もいつかは愛想を尽かし、見るのもイヤになる時が来るにちがいない。人間の趣味は、どんな人でも、必ず洗煉へ向って進むものだからだ。そのとき彼らは鴎外の美を再発見し、「カッコいい」とは正しくこのことだと悟るにちがいない。

三島にとって、鴎外は常に憧れの存在だったが、その魅力を伝えるために、彼はいかにも、「若い世代」の軽薄な言葉を敢えて使ってみせる風に、括弧付きで「カッコいい」を用いているのである。

そして、興味深いことに、三島はこれを単なる流行語だと考えており、エッセイ「小説とは何か」(一九六九年)の中では、次のように書くのである。

すべては相対的な問題であり、現代語として誰にもわかる「カッコイイ」などという言葉が、十年後には誰にもわからなくなるであろうことは、歌舞伎十八番の「助六」の洒落が、今日誰をも笑わせないのと同じである。

しかし、この至極当然のように書かれた予言は、ハズれたのである。

突然の「カッコいい」ブーム

「カッコいい」という言葉は、実際は、野坂が言うように「テレビ関係者の中から生れた」わけではなかった。語誌的には「恰好の良い/が良い」は、江戸時代からちらほら文献に現れている。

photo by iStock

「あのネ、おむすさんのお髪は、今日のはまことに恰好がよいぢやアございませんかねえ(あのね、娘さんの髪型、今日のは本当に恰好が良いじゃありませんか、ねえ)」(式亭三馬『浮世風呂』一八一一年)

 

しかし、この「恰好が良い」は、「カッコいい」とまったく同じではない。「恰好が良い」は、明治、大正、昭和初期と、決して形容詞化された今日の「カッコいい」ほど頻繁に使用されていたわけではなく、またこの言葉がそのまま「カッコいい」に変化した、というわけでもない。

「カッコいい」は、一九六〇年代に、野坂が勘違いしたように、まるで新語のように唐突に「つかわれ出した」のであり、戦後、数々の流行語が生まれては消えていった中で、以来、一度として廃れることなく、今日に至るまで、完全に日常語として定着しているのである。

しかし、なぜ一九六〇年代だったのだろうか? その時に、一体、何があって、日本人は口癖のように「カッコいい」と言うようになったのだろうか?