エジプトの血を引く兄弟が「純日本産ウォッカ」づくりに賭ける理由

実は巨大な市場が広がっている
松岡 久蔵 プロフィール

弟が見た「兄の本気」

アリーさんが起業を決めたちょうどその時、弟のオサマさんはプロサッカー選手としてのキャリアに行き詰まりを感じていた。プロ入り後に靱帯を切断して以降、ケガとの闘いが続いていた。

「アスリートはいずれ終わる」――その言葉の重みをかみしめ、オサマさんは27歳で引退を決意。次なる一歩をどうするか考えていた矢先、アリーさんに創業メンバーに誘われた。

ただ、サッカー一筋に生きてきただけに、ビジネスのことは何もわからない。自信はなかった。

 

アディエートでまず始めたのは、六本木や西麻布などでのバーへの飛び込み営業だ。アリーさんと午後8時に集合して20軒ほど周り、始発電車で帰宅する生活が始まった。

「初めて飛び込んだバーのことは今でも覚えています。どうやって話し掛けたらわからなかったので、おどおどしていたら、バーテンダーさんが逆に気を遣ってくれて『どうしたんですか?』と声を掛けてくれた(笑)。そのくらいウブだったんですけど、結局そこのお店は仕入れてくれることになりました。すごくうれしかった」

ただ頑張りとは裏腹に、起業当初はすぐに成果が出なかった。

ある日、オサマさんがバー周りを終え、事務所に戻った時のこと。普段はアリーさんを「社長」と呼び、仕事とプライベートをきっちり分けるよう心がけていたにもかかわらず、なれなれしく接してしまうことがあった。

「表に出ろ!」。アリーさんはオサマさんを外に連れ出した。オサマさんは怒られるのを覚悟した。アリーさんは「いいか。これは戦争だ。自分のブランドだと思ってやれ!」と叱った後、「正直、お前がいないとツライんだ」と漏らした。普段、弱みを決して見せようとしなかった兄が初めての見せた等身大の姿だった。

オサマさんはこの時、チェコリーグでプレーしていた時の厳しさを思い出したのだという。

「チェコに限らず、海外リーグは『試合に出てナンボ』の世界。みんな空きが出るのをひたすら待っているんです。みんながチームメイトのことを『あいつ、ケガしねえかな』と思っていて、実際に負傷させられることもあります。昼休みにチームでボール遊びするほど和気藹々とした日本のチームとは、全く違います。

私自身、チェコリーグで4人に限られた外国人枠をめぐって、練習中にチームメイトからスネをスパイクで蹴られて肉が裂けたこともありました。ドクターには『試合は無理だ』と言われましたが、我慢して出場しました。

チェコリーグでプレーしていたときのオサマさん(右から3人目)

あのときの兄も、『退いたら終わり』という状況におかれていたのではないか、と気づきました。自分が失敗すれば、全てが無駄になってしまうわけですから。私ももう一度、真剣に闘ってみようと思いました」