覚えた絵空事を使ってしまう「知識の誘惑幻惑効果」から自由になる法

お題エッセイ、ついに最終回!
佐倉 統 プロフィール

そこで最後に、博物館をめぐる絵空事の事例を紹介して締めとしよう。

民族学者で国立民族学博物館を設立した梅棹忠夫は、博物館のあり方についても時代を先取りした見通しをたくさん残してくれた。そのひとつが「メディアとしての博物館」という考えかたである(1987年出版の彼の著書のタイトルでもある)。

ここでの議論に即してこれを解釈すれば、知識の使い方をサポートする場としての博物館ということである。

梅棹忠夫梅棹忠夫(1920-2010、1961年撮影) Photo by Kodansha Photo Archives

梅棹は『四国新聞』のインタビューに答えて、地方自治体における博物館の必要性を力説してこう語っている。

「かつて幕藩時代には、藩校で独自の学問をおしすすめていましたね。藩校では自藩のための人材を育成したわけです」

「いわば総合大学ですね。わたしは博物館もおなじようなものだとおもうんです。最近、各地でたてられる博物館にもブームがありましてね。第一が考古です」

「それに歴史と民俗がくわわる。そして第二波が美術館です」

「わたしは、そのつぎは、おそらく自然科学博物館だとみています。この三つを一セット県ごとにおくべきですね」『メディアとしての博物館』平凡社、1987、p.128;初出は「総合市民大学の役割を──地域社会での博物館のあり方」『四国新聞』1982年7月6日)

最近この文章を読んだとき、これこそ絵空事ではないかと思った。

今や地方の博物館は集客と経営が難しく、自治体の財政を圧迫する存在として煙たがられているところも少なくない。とてもじゃないが、人文・美術・自然の3点セットを各自治体にそろえるなんて時代錯誤もはなはだしいではないか、と。

ところが、実際に各自治体にどれくらいの博物館があるのかを調べてみて、驚いた。3つどころではない、はるかに多くの博物館が日本にはあるのだ(日本の博物館法が定める「博物館」には、美術館も動物園、水族館なども含まれる。用語についてはWikipediaを参照)。

文部科学省による社会教育調査(平成27年度)のうち「博物館調査 種類別博物館数」を見ると、公立博物館が3館未満の都道府県はない。最も少ないのが佐賀県で3、ついで山形県と香川県が4となっている(登録博物館と博物館相当施設の両方を含む)。私立館も含めれば最小は青森県の5館。自然科学を扱う博物館が相対的に少ないという傾向はあるものの、日本全国で公立館765、私立館463、その他も合わせて合計1256館、うち登録博物館895。これらの統計で把握されていない博物館も少なからず存在する。

もちろん、これらの中には展示がおそまつだったり、十分な学芸員がいなかったり、施設も老朽化していたり、さまざまな問題をかかえている館も少なくない。

だが、高度経済成長やバブル経済の恩恵を受けて、とにもかくにもこれだけの数の博物館や美術館が日本には存在するのだ。ぼくの認識不足と言ってしまえばそれまでだが、1256という数字はぼくの予想をはるかに上回っていた。せいぜい数百だと思っていたので、本当に驚いた。

みなさんはどう思われるだろうか。

「蓄積」から「配分」へ

歴史上、だいたいいつでもどこでも、経済的に発展した社会はその富を文化の支援に使うようになる。したがって、ある国の文化的発展は経済的発展に遅れてやってくる。今の日本がまさにそうだ。

そうして、国や社会は成熟していく。言いかえると、日本の社会が本当に成熟していくのは、むしろこれからなのではないか。

少子高齢化や経済の低成長など、さまざまな問題を抱えている日本だが、博物館の数に象徴されるように、今まで蓄積してきた文化的資源は相当なボリュームになっている。これを積極的に活用し、富の再配分の仕方を見直していけば、そこそこ豊かで、かなり安定した社会を実現することができるのではないかと思う。

文化資源をさらに活用するためには、余暇に使える時間を増やすことが必要だろう。外国からの観光客を増やすことには成功しているが、観光の内需もまだまだ増える余地が大きいと思う。

そのためには労働時間がもっと短くならなければならない。豊かになるためには、働かないことが必要なのだ。働かなくても暮らしていけることが必要なのだ。

これが絵空事でないことを、ぼくは祈っている。

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