覚えた絵空事を使ってしまう「知識の誘惑幻惑効果」から自由になる法

お題エッセイ、ついに最終回!
佐倉 統 プロフィール

つまり、息継ぎのない歌を美しいと思うようには、ぼくたちはならないのではないか、ということだ。人間の美的感覚は、それだけ、人間の身体性と密接に結びついていると思うのだ。囲碁の場合とはそこが違う。

囲碁のルールは人工的に作られたものだ。それによって規定される探索空間は、人間の身体は無関係だ(完全に無関係ではないかもしれないけど、歌の歌い方に比べればその影響は無視しうるぐらい小さい)。だから、AIが新たな領域を発見する余地がある。

2017年、グーグル開発のAlphaGo(アルファ碁)がトップ棋士の柯潔を下した Photo by Getty Images

しかし、歌い方の美学は、そうではない。人間の身体の限界や特性によって生み出されるさまざまな特徴が、その根底にあり、制約条件にもなっている。身体をもたないAIは、それを「真似する」ことはできても、それと異なる美を生み出すことはできない──少なくともとてつもなく難しいはずだ。

だとすれば、AI歌手が普及する可能性は、ほとんどないと言って良いのではないか。

可能性があるとすると、AI歌手の費用が安くなって経済性の面で有利になったときぐらいに限られるだろう。果たして生身の歌手の人件費節約のためにAI歌手が巷にあふれる時代が来るのだろうか?  仮にそうなったとしても、そのAIは、人間を凌駕するスーパーAIとはだいぶ異なるものであることは間違いない。

科学的知識による誘惑幻惑効果

SF作家のアーサー・C・クラークは、実際の科学や技術についても洞察が深く、至言をたくさん残しているが、その中のひとつに「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」というのがある。クラークの第三法則とも呼ばれるものだ。

アーサー・C・クラークアーサー・C・クラーク(1917-2008、写真は2006年撮影) Photo by Getty Images

これはつまり、かつては絵空事だった科学技術でも、広く普及して日常の一部にほぼ常識として埋め込まれてしまうとことがあるということだ。

新しい時代の人たちにとっては当たり前、それ以前の人たちにとっては魔法。

たとえば半村良の傑作SF『戦国自衛隊』は、そんな「技術=魔法」の感覚を楽しめる作品だ。

戦国時代にタイムスリップした自衛隊の装甲車が敵を一瞬で蹴散らしたのを目の当たりにして、長尾景虎は「恐ろしい道具でござるな(中略)何という名でござろうか」と、まさに魔法を見ているかのようにつぶやく。

もっとも、科学技術が魔法というブラックボックスになってしまうことには、弊害もつきまとう。