大学に入って念願のボスニアへ

大学に入ると、ボスニアに通い始めました。
99年に行った際、日本のNGОが日本の文化や遊びを伝える活動をしていたので手伝いました。すると、子どもたちが一番熱中するのはサッカーでした。日本人にも馴染みのあるストイコビッチら多くの名選手を輩出している旧ユーゴらしく、サッカーは非常に盛んでした。

サッカーを楽しむのに言葉もいらない。ボールひとつあれば、みんな打ち解けることができるそして、子どもがサッカーを通して仲良くなると、大人もつられるように交流するようになります。「これはもうサッカーしかない」と思い立ち、民族の垣根を超えたサッカークラブ「クリロ」を立ち上げるに至りました。

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現地の言葉(セルボ・クロアチア語)は不自由なく話せるようになっていました。サッカーは未経験だったので苦労しましたが、プレーを見せたりしなくても子どもが楽しくなるベースをつくるのが少年スポーツの役割だと気づくことができました。

05年には、ジェフ千葉の監督をされていたオシムさんにお会いすることができ、その後はその背中を見ながら多くのことを学ばせていただきました。翌年には、クリロの子どもたちを日本に招待することができ、ひとつの集大成になりました。

戦後の復興がなされ、サッカーをやりたい子たちが指導者や施設が確保されているクラブへ行けるようになりました。かつてのような民族的な垣根もなくなり、クリロの役目は終えたということで区切りを付けました。

それが08年。
小学校の教員として3年目を迎えていました。

次回は7月22日公開予定です

2015年、かつてのクリロの選手らが集まったスタディツアー。ムスリム、クロアチア、セルビア、そして日本人と民族が融合。森田さんは毎年のように彼らと会う機会を設けている 写真提供/森田太郎
●森田太郎(もりた・たろう)
1977年生まれ。東京都出身。静岡県立大学で国際政治とロシア語を学び、99年よりボスニア・ヘルツェゴビナにたびたび渡航し、サッカーによる民族融和を目指した論文で『秋野豊賞』を受賞。『サラエヴォ・フットボール・プロジェクト』代表となり、現地に民族融和を目的とした少年サッカークラブ『クリロ(翼)』を立ち上げる。その取り組みは、朝日新聞の連載「人」など多くのメディアで報じられた。
東京都小学校教諭として13年勤務(退職時は主幹教諭)した後、2019年4月より探究学舎講師に。著書に『サッカーが越えた民族の壁――サラエヴォに灯る希望の光』(明石書店)。

(取材・構成/島沢優子)