1988年のソウル五輪で銀メダル、89年、90年のユーロバスケットを制覇し、91年には世界選手権優勝に導いたブラディ・ディバッツ Photo by Getty Images

彼はユーゴが内戦状態になる前は、クロアチア人選手たちと家族ぐるみで仲良くしていた。ところが、紛争によってそれが壊れてしまったというのです。
もともと同じ国に住んでいたのに、一緒にバスケットをしていた仲間だったのに、銃口を向け合うなんて……。その不条理に、怒りや悲しみ、憤り。言い表せない感情とともに、「なぜなんだ?」「何が起きているのか?」という興味が湧いてきました。

そのころ、ボスニアの内戦も日本で報じられていましたが、民族対立とか宗教の違いと言われても、17歳の高校生にはまったくわからない。
それまでほとんど読書なんてしたこともなかったのに、とにかく旧ユーゴやボスニア関連の本を読みあさりました。映画も『アンダーグラウンド』など、たくさん観ました。

「なぜ、殺し合わなくてはならないのか?」
担任の先生に尋ねたら、「それは、国際関係学部とかのある大学に行って勉強しなくちゃわからないね」と言われました。

すぐに「ぼく、大学に行きます」と言ったら、担任から「ふーん。3年がんばってね」と言われました。無知なぼくはその時「そうかァ、大学は3年しかないのか」と考えたのですが、3年浪人しなければ入学できないよ、という意味でした。

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センター試験で200点満点中24点

勇猛果敢にセンター試験を受けたのですが、英語は200点満点で24点でした。前の席のМ君に報告したら「うわっ、森田に負けた!22点!」と叫んでいました。大学へ進学する子なんてほとんどいない高校でした。

なにしろ「is」や「are」が同じbe動詞という仲間だと知ったのが、高校2年生の時です。そのころまで料理人を目指していました。両親の帰りは遅いときなどは、よく弟と一緒に家族の夕飯を作っていたので、料理をするのが好きだったのです。

ちなみに、数学は200点満点で13点でした。マイケル・ジョーダンに憧れていたから、彼の背番号「23」の2と3を交互にマークシートに埋めていったら13点。のちに、すべて同じ数字を埋めると30点取れる仕組みであることを知り、よくぞ17点分も外したものだと感心してしまいました。

ところが1年後。
「必ずボスニアに行くんだ」とこころに火をつけられていたぼくは、一浪して静岡県立大学国際関係学部に合格しました。
英語は200点満点中、186点でした。

驚きと感動、つまり興味の種がこころにまかれると、勝手に勉強を始める。第一志望校合格という結果についても、「見た目は奇跡、実は必然」だったと思います。

このように、ぼくは身をもって体験している。そのこともあって、探究学舎で「種をまく人」のひとりになろうと思ったのです。