学校から帰ったら遊びしかしてなかった

ぼくがどうやって動き出したのか。
種がまだまかれていないころは、とにかく遊ぶことに夢中でした。
小学校の6年間、計算ドリルと漢字ドリルはすべて白紙。すべて新品そのもの。なぜなら、家に帰るとなぜかランドセルに「鍵」がかかってしまい、開かないのです。外で真っ黒になるまで毎日遊んでいました。

したがって、本来なら保護者に知らせなくてはいけない家庭訪問の日程調整票や参観日の出欠票などは、なにひとつ親へ渡ることはありませんでした。弟と妹がいる3人きょうだい。両親も共働きで忙しかったのか、それについて厳しく言われたり「勉強しなさい」と叱られたりすることもありません。ぼくを信頼してくれたのか、自由に好きなようにさせてくれました。

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のびのびと小学校生活を謳歌していたぼくに、忘れられない出会いがありました。
小学4年生の担任は忘れ物を記録し、その回数分のげんこつを児童におみまいする先生でした。

最初の1ヵ月。
3位のA君は53回。2位のB君は79回。そして、森田太郎は210回。他を寄せ付けない強さで、まったく勝負になりません。年間通して2000回、一生でもらうげんこつのかなりの割合をこの先生からもらいました。

しかしながら、いくらげんこつをもらってもぼくのこころには響きませんでした。その後も宿題を忘れ続けたぼくは、中学、高校ではバスケットボールに明け暮れ、まったく勉強しないままでした。

種がまかれていないとき、なぐられても森田さんのやる気は一切芽が出なかった Photo by iStock

高校生2年生のときにまかれた種

そんなぼくに驚きと感動の種がまかれる時が来ます。

旧ユーゴが解体される過程で、ボスニア・ヘルツェゴビナで3年半に及ぶ民族紛争が起きました。20万人が亡くなり、200万人が国外退去させられ、第二次世界大戦のナチスドイツ以来といわれる大量虐殺につながります。

1994年。高校2年生でした。バスケットを始めたのですが、当時はNBAの大スター、マイケル・ジョーダンの全盛期でしたから、日本でもNBAのテレビ番組がスタート。夢中で観ていたら、ブラディ・ディバッツというユーゴスラビア代表のセルビア人選手を取り上げていました。