人文知を「絵空事」と呼ばせないために大学人が実践すべきこと

5年間雑誌を作り続けて体得したこと
水越 伸 プロフィール

ゼロ年代以降にインターネットが本格普及するなかで登場した新たなメディア実践者たち、たとえば荻上チキ、東浩紀などは自らウェブサイトを立ち上げ、ブログを更新し、ラジオ番組や出版社を持ち、さまざまなSNSを繰って言論空間を生み出してきた。雑誌『5』は幾多あるうちの一例にすぎない。

オウエンやエンゲルス、マルクスらが当時の紙メディアを通じて得たであろう総合的経験を切り捨て、もっぱら彼らを人文社会系学問上の思想家として扱うことは、出版社、取次、書店などが産業的に分化、確立し、そのうえで物書き然としての振る舞いを当たり前のこととして享受できた時代の大学人だからこそ可能だった絵空事ではないのか。

そう考えると80年代にジャーナリズム論の先生に僕が感じたモヤモヤ感の原因がわかる。

僕が興味があるといった新聞販売店網はたしかにジャーナリズムではい。しかし新聞販売店網が産業的に確立していたからこそジャーナリズムは成り立つ。新聞販売店網はジャーナリズムではないが、マスメディアとしての新聞に不可欠の成立要件であり、その仕組みが読者共同体の地理的拡がりとニュースの到達速度、そして商品としての新聞の市場特性を規定する。

新聞配達日本の新聞販売は長きにわたり宅配に依存してきた Photo by Getty Images

日本の新聞が国際的に見てオンライン化に遅れ、いまだにその展望を描けないでいる一つの理由は、デジタルを含む販売網の改革を重視してこなかったからだ。新聞業界も新聞研究も新聞はインテリが作るものだと思い込み、ヤクザなことはバカにして後回しにしてきたのだ。

新しいメディア実践でリテラシーを育む

大学人であれジャーナリストであれ、およそ物書き的なインテリは、原稿を書くだけではなく自ら販売したり、ウェブサイトへ自分でアップした方がよい。

デジタル化の進展のなかで出版が危機にあることを傍観し、たとえば自著の初版が数百部しかないことを驚き嘆くだけではなく、その危機を我が事としてとらえて、その克服のためのプロジェクトに参画すべきである。

すなわち、本や雑誌に関わるさまざまな営みのなかで、大学人やジャーナリストが引き受けるべき役割を物を書くことだけに固定するのでなく、編集から広報、デザインから販売まで柔軟にその役割を拡げてみるのだ。

オウエンは工場現場の労務改革や幼稚園の創設に力を尽くし、その過程で資本主義的生産過程が抱える問題に気づき、協同組合、労働組合を打ち立て、社会主義のビジョンを生み出した。そのビジョンは何度も頓挫したが、豊かな現実性、実践性をはらんでいたからこそ、今でも絵空事ではない。

こうしたメディア実践はインテリに対して、出版や新聞メディアの存在意義を批判的に吟味し、当事者的に参画し、能動的に表現するリテラシーを育む機会をもたらすだろう。そして出版や新聞の未来を空想できるリテラシーは、人文社会科学やジャーナリズムの未来を空想する力を導き出すのではないだろうか。

これらの領域が蓄積してきた思想と知性を絵空事だといわせないために、それは多くの人々が身につけるべき技術であり、素養だと思う。

■参考文献・情報
エンゲルス著/大内兵衛訳『空想より科学へ 社会主義の発展』岩波文庫、1966(原著:1883)
ロバアト・オウエン著/五島茂訳『オウエン自叙伝』岩波文庫、1961(原著:1857)
柏木博『家事の政治学』青土社、1995
吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書、2016
『5:Designing Media Ecology』キックオフ・シンポジウム・ビデオ.2014.7.6.
https://www.fivedme.org/post/163778890735/video-kickoff-sympo-july-2014

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