人文知を「絵空事」と呼ばせないために大学人が実践すべきこと

5年間雑誌を作り続けて体得したこと
水越 伸 プロフィール
オウエンロバート・オウエン Illustration by Getty Images

オウエンは18世紀末のイギリスで紡績工場を立ち上げ、原材料の仕入れ、作業工程の合理化、在庫管理、労務対策など一連の経営実務をとりまとめて軌道にのせ、19世紀に入るとスコットランドのラナークに最新技術を導入した大工場を設立して大成功を収めた。

その際に、工場労働者の労務管理や生活改善を進めるとともに、子どもたちの幼稚園を設けるなど教育改革を手がけ、それらの実務経験をもとに工場のあり方や公衆衛生に関する法律の制定にも寄与した。

ニュー・ラナークオウエンが経営したニュー・ラナークの紡績工場と工員住宅(1815年) Illustration by Getty Images

その過程で彼は、人々を取りまく労働環境、生活環境をよりよいものにしていけば、大人であれ子どもであれ人間は必ず本来の能力を開花させ、社会は発展するのだという、同時期に生まれたデザイン思想にも通底する思想を提示した。

そしてこの思想が労働組合や協同組合の発展をうながし、初期社会主義の基盤となったのである。

オウエンはその後、アメリカ・インディアナ州のハーモニー村で理想的なコミュニティの建設事業を立ち上げて大失敗したりする。

しかし僕にとって興味深いのは、オウエンが少なくとも30代から40代の頃に優秀な経営者、資本家だったことであり、同時に急速に産業化が進んで数々の問題が噴出したイギリス社会を改革するビジョンを提示していたという事実だ。

彼はただの書斎派知識人ではなかったのである。

第2バイオリニスト、エンゲルス

このオウエンを空想的社会主義者と名づけたのは、カール・マルクスの盟友、フレデリック・エンゲルスである。

エンゲルス25歳のエンゲルス(1845年) Photo by Getty Images

エンゲルスは19世紀半ばのドイツ社会主義運動において、オイゲン・デューリングらとのあいだで深刻化していた党派的対立を克服するために『反デューリング論』を出版する。そこで彼は、弁証法を用いた史的唯物論の重要性を説き、資本主義がやがて衰退し社会主義が到来することの必然性を説いた科学的社会主義の意義をわかりやすく、声高に謳った。

この『反デューリング論』の簡易版が『空想より科学へ 社会主義の発展』である。岩波文庫版の翻訳者、大内兵衛は、これが世界で最も読まれている社会主義関連文献だとしている(大内もまた傑出した実践感覚の持ち主だったがここではおいておく)。

エンゲルスはこの小著において、サン・シモン、シャルル・フーリエとならんでオウエンを空想的社会主義者と呼んだのである。

エンゲルスにとって、空想的社会主義は彼ら3人が活動した時代状況に制約された未成熟なものであり、社会現象や人間心理をダイナミックにとらえる弁証法を用いた史的唯物論と、その理論枠組みに支えられた科学的社会主義こそが目指されるべきものだった。

しかしエンゲルスは、3人の先達、わけてもオウエンの業績には高い評価を与えていた。