講談社の創業者・野間清治が迎えた「悲壮な最期」

大衆は神である(58)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

清治の長男・恒の病状が日増しに深刻になる一方、清治の妻・佐衛も赤痢にかかり、野間家の中は混乱を極める。そして、長年心身に負担をかけながら激しく生きてきた清治自身にも、限界が近づいていた——

第六章 雑誌王の蹉跌──巨星、墜つ(3)

恒の手術、左衛の急病

この年の6月13日、恒は東京帝大医学部附属病院に入院し、同月28日、外科教授の大槻菊男(おおつき・きくお)による手術を受けた。目白邸詰めの秘書・西野季治は当日、清治と二人で附属病院に行った。着いたときすでに手術が始まっていて、清治は立ち合いのためすぐ手術室に入った。

西野が廊下のベンチに腰掛けて待っていると、清治は途中で気分が悪くなり、手術室を出てきた。そうしてベンチに腰を下ろし、煙草を吸った。手術が終わると、清治は大槻にお礼を言った後、長い廊下を歩いて恒の病室のほうに向かった。

そのとき、廊下を反対側から走ってきた子供が清治にバッタリぶつかった。清治は子供を抱き上げてあやした。その落ちつきぶりを見て、西野は「恒さんの手術はうまくいって心配いらないんだ」と思ったという。しかし、実際は、恒は末期の直腸がんで手の施しようがなかった。

8月31日、恒は退院した。

恒の退院と前後して左衛が激しい腹痛と下痢に見舞われ、高熱を発した。熱は3日たっても下がらなかった。目白邸詰めの清水徳三郎が「医者を呼びましょうか」と聞くと、左衛は首を振り、清治以外の誰にも知らせてはならぬと言った。恒に余計な心配をかけたくなかったのである。

発熱から4日目、左衛は人事不省に陥った。清水の知らせで清治が駆けつけ、そこで初めて医者を呼べということになった。駆けつけた医師の手当てにより、左衛は数時間後に意識を取り戻し、一命をとりとめた。赤痢だった。

 

「エッ、雨が降っているのか」

赤石喜平が久しぶりに目白邸を訪ねたのは、左衛の病で邸内が大騒ぎをしていた最中の一夜である。清治は廊下に突っ立ち、ガラス障子ごしに雨の降る庭をじっと見ていた。

赤石が清治の側に立ち、

「よく降りますね」

と、声をかけたら、清治は

「エッ、雨が降っているのか」

と、驚いた。赤石は「社長は外を眺めながら雨の降っていることを知らない。これは容易ならんことだ。深刻な悩みがあるにちがいない」と思ったという。