リクルートスーツは「若者画一化の証」だと嘆く人に強く言いたいこと

深く考えずに叩いていませんか?
安城 寿子 プロフィール

視点⑤:リクルートスーツがなくなったと仮定して…

リクルートスーツをことさら問題視する人々は、そういうリスク回避こそが現状追認的で危険なのだと言うかもしれない。

しかし、結局のところ、どこまで行っても、何らかのコード(規範)に付きまとわれるのが服装である。人の表層を覆うものであるだけに、少数の例外を除いて、それが人からどう見られるかということから完全に自由であることはありえない。社会生活において真っ先に目につく部分であるため、それぞれの場面で、否応なく、それ自体が〈場違い〉かそうでないかを表示する役割を果たしてしまう。

英語の「ファッション」にあたるフランス語の「モード(mode)」という言葉がかつては宮廷で守るべき服装の規範や作法を意味していたことにも示される通り、これは、日本だけに限らない、服装の本質である。

 

リクルートスーツがなくなったと仮定してみよう。企業説明会や面接に臨むのに「失礼にならない服装」が求められることは変わらないから、当然、「それならどういうものを着たらいいか」という空気の読み合いが始まり、アパレル企業はそれを見越したマーケティングを展開するだろう。ウェブ上では、「あなたらしいこんなリクルートファッション」を指南する記事が散見されるようになるだろう。今のところせいぜい2色3型ぐらいのスーツが5色8型ぐらいになり、インナーのバリエーションも増え、「いかにも前時代的な黒いスーツ」は浮くようになって「時代の変化に適応できていない」というマイナスの印象を与えるようになるだろう。

コードがなくなることはない。

コードの内容が変わるだけだ。

実は、アパレル業界の就職活動では今述べたようなことがかなり前から行われている。「リクルートスーツだとセンスに自信がないとみなされる」とか「志望するブランドの服で全身固めていくのはかえって逆効果」とか「当該ブランドのテイストに合わせた服装で面接に行くのは当たり前」といった細かい不文律があり、実際の選考で企業側がどの程度それを考慮に入れているかは分からないが、就活学生の多くはその不文律に従っている。彼らの服装は一見したところ多様だが、黒いリクルートスーツよりも多くの——そして複雑な——コードに縛られている。

以上のことを踏まえて、今一度、黒いリクルートスーツが本当にそこまで憂うべき問題なのかを問うてみる必要がある。黒い服の一団が——分量の多い黒は確かに威圧感があるだけに——何となく目障りに感じられたというだけで、もっともらしい理屈を並べて嘆きのポーズを決めたところで、冒頭で述べた〈若者劣化言説〉の亜種以上のものは生まれないだろう。

*1)藤井青銅「着物警察が若い女性を目の敵にする歴史事情」東洋経済オンライン、2019年1月14日公開(2019年6月1日閲覧)

*2)この75名のうち、2名は、選択式解答で「入学式で着たスーツを就職活動でも着る予定である」を選んだうえで、アンケート用紙の欄外に「細身のデザインを購入してしまったので太らないようにしないといけない」という内容のことを書いていた。

【主要参考文献】
●内村理奈「エチケットで身をたてる:礼儀作法書にみる近世・近代フランスのモード」徳井淑子、朝倉三枝、角田奈歩、新實五穂、原田碧『フランス・モード史への招待』所収、悠書館、2016年、137-180 頁。
●加藤恵津子「(私の視点)リクルートスーツ 黒一色、思考停止への道」『朝日新聞』2019年4月4日、11面。
●竹之内幸子「就職活動における『リクルートスタイル』の誕生と普及過程」『立正大学社会学・社会福祉学論叢』第30号、1996年12月、47-58頁。
はらだ有彩「『皆同じリクルート・スーツを着た就活生は没個性的』と言うけれど」WEZZY、2019年3月22日公開(2019年6月1日閲覧)
●「大学入学式、スーツ『黒一色』なぜ」『朝日新聞』2019年4月12日、31面。