リクルートスーツは「若者画一化の証」だと嘆く人に強く言いたいこと

深く考えずに叩いていませんか?
安城 寿子 プロフィール

視点③:80年代女子大生スタイルは多様性の理想形か

性差の問題が有耶無耶にされているのも気になるところだ。

先述の取材を受けた際、記者から、「昔はここまで画一化されていなかった」ことを裏付ける材料として、1980年代の『JJ』や『Can Cam』に掲載されていた女子大生向けリクルートファッション記事が示された。なるほど今のリクルートスーツに比べてカラフルでバラエティに富んでいた。

SNSでもよく引用される、リクルートスーツの画一化を紹介した記事(『日本経済新聞』2010年9月16日)

しかし、「昔はこんなに多様だったのに…」と短絡することはできない。

別の見方を試みてみよう。

男性は身に着けないような大きなリボンのついたブラウスやカラフルなスーツ。それらが女子大生のリクルートファッションとして推奨されていた時代から、男女とも同じような——礼服のスタンダードである——ダークカラーのリクルートスーツが一般的になった。このことは、就職活動という場において、女性だけが華やかな装いを求められることはなくなったという変化として読み解くこともできる。

『JJ』や『Can Cam』の雑誌記事を引き合いに現在のリクルートファッションの「画一化」を嘆いてみせることは、女子学生に対してだけ「80年代の女子大生を見習ってもっと派手に装いなさい」と言っているのと大差ないように思えて、気が引ける。もしも、今、もっと自由で多様なリクルートファッションを求めるなら、それは、ジェンダーバイアスのかかった80年代的「多様性」以外の何かであるべきだろう。

 

視点④:リスク回避は悪いことか

リクルートスーツというものが就職活動における装いのスタンダードとして存在していることを否定する人はいないだろう。そのことの裏返しとして、リクルートスーツを着ないという選択がまだまだ少数派のものであることも確かである。

少数派の装いはそれだけで注目を集めやすい。これから訪問する企業の人事担当者が、それを、「自分らしくてよい」と考えてくれるか、「協調性がなさそうだ」と見るか、そもそも服装など大して見ていないか、あるいは、口では「自分らしくていいですね」と言いながら「うちでは採用しないけどね」と心の中で含み笑うか、それは全く予想がつかない。予想がつかない以上、リスク回避としてとりあえずリクルートスーツを身に着けるのは合理的な判断である。

その辺りのことを「テキストレーター」のはらだ有彩氏が既に明快な言葉で書いてくださっていたので引用してみたい。

同一化した就職活動スタイルは、これまでも繰り返し物議を醸してきた。最近では就職活動時のみならず、全てビジネスシーンでの女性のヒール着用も見直そうという運動がたびたび起こっている。とはいえ、それらを今すぐに体現しない学生さんが、ビジネスマンが、個人の性質によって保守的であると言うことは誰にもできない。今日・明日の面接会場では、暗黙のルールから逸脱すると落とされるリスクが確かにまだ存在している。反しがたい状況をそのままに「はみ出していいって言っているのに、はみ出さないってことは、はみ出たしくないってことなんでしょ」と片付けるのはあまりにも短絡的である。大体、「はみ出す」という時点で「はみ出すべきではないライン」があると言っているようなものだ。

リスク回避を臆病と批判されても、当事者である就活学生からすればただの大きなお世話である。