リクルートスーツは「若者画一化の証」だと嘆く人に強く言いたいこと

深く考えずに叩いていませんか?
安城 寿子 プロフィール

視点①:人は個性の表現のためだけに服を買うのか

まず、今年4月に物議を醸した大学の入学式で大半の新入生が黒や紺のスーツを身に着けていたことについて触れておこう。

『朝日新聞』には戦中の服装統制との類比を交えたネガティブな論評が掲載されていたが、TwitterをはじめとするSNSでも指摘されていたように、おそらく、これは、数年後の就職活動を見越した選択の結果である。

彼らは、「どうせ買うならリクルートスーツとしても使えるものを」ということでそれを購入しており、売る側も、「これなら就職活動でもお使いいただけます」というアドバイス——という名のセールストーク——を展開している。

〔PHOTO〕iStock

私が勤務する阪南大学(大阪府松原市)の新入生を対象に聞いてみたところ、「入学式で着たスーツとは別にリクルートスーツを購入する予定がある」と答えたのは86名中4名、「まだ分からない」が5名、無回答が2名、「入学式で着たスーツを就職活動でも着る予定である」が75名だった(*2)。

某百貨店のスーツ売り場では、学生証を提示し、「就活応援」というシールが貼られた商品を買うと割引になるので、シール付きの黒いスーツを買ったという声も聞かれた。もっと多くの大学で同様のアンケートを試みる必要があると思うが、少なくとも、将来的な着回しや節約という要素が彼らの選択に影響を与えている可能性は見落とされるべきでない。

 

私たちの多くがそうであるように、彼らもまた、〈自分らしさ〉の表現をする/しないという一点にこだわって服を買っているわけではないのだ。この点を踏まえると、黒が多かったことの理由として、冠婚葬祭いずれの場面でも身に着けられる色だからではないかと考えることもできる。

「自分の大学の入学式の時はふんぱつして買った〇〇(DCブランド名)のスーツを着ていったのに…」ということを言う人もいる。しかし、それは、個性の表現のために高くてもDCの服を買うことが当たり前だった——1980年代頃に青春時代を過ごした世代の中でもごく一部の——人々の間で共有されている価値観でしかない。今の大学生にその価値観を押し付けるのは無理筋というものだ。

さらに付け加えておくと、服装において個性を表現しようとしない人がイコール無個性な人という見方は間違っている。服装は数ある個性の表現の場の一つに過ぎずないのだから。