【太平洋戦争秘話】74年前、七夕の空に散った日本初ロケット戦闘機

潜水艦がドイツから持ち帰った最新技術
神立 尚紀 プロフィール

秋水の墜落時の状況について、離陸滑走距離の測定にあたった三一二空の高田幸雄さんは「対岸にある施設部の見張小屋の屋根に右翼をひっかけ、鷹取川(大原さんの回想にある飛行場の外堀)で反跳して飛行場内に墜落した」と回想するし、目撃者の証言にも微妙な不一致がある。飛行場は平坦だから、見る位置や角度によっても多少の誤差があるのはやむを得ない。

終戦後すぐ、米軍が撮影した横須賀基地の航空写真。秋水は矢印の方向に離陸、急角度で上昇中にエンジン停止、右旋回で滑走路に戻ろうとして直前で墜落した

秋水は、比較的原形を残していた。犬塚大尉は瀕死の状態で助け出されたが、翌8日午前2時に息を引き取った。収容された鉈切山の防空壕内の病室で、駆けつけた柴田大佐に、朦朧としながら「すみません」と繰り返していたという。

エンジン停止の原因は、甲液タンクの薬液取り出し口の位置が悪く、上昇時の機体の傾きで、搭載量を減らしていた薬液の供給が止まってしまったこととされた。柴田大佐は、手記のなかで、犬塚大尉の最後の旋回操作が2秒遅れたことと、たった2秒の差が致命的な墜落事故につながるような狭い追浜飛行場を選んだのは自らの責任であることを記している。

8月15日に予定されていた秋水の2度めのテスト飛行は、準備が間に合わず、実行されないまま終戦を迎えた。

戦後60年が経とうとした七夕の日、大原亮治さんの案内で、横須賀の海軍航空史跡めぐりをしたことがある。

秋水の墜落地点の川の近くで、

「ちょうどあのあたりだ」

と、大原さんが指をさす。天気は良好だった。

墜落時の状況を詳しく説明しながら、大原さんが、

「犬塚大尉には気の毒だけど、飛行場に戻ろうとしたのは判断ミスだったと思う」

と言った途端、一天にわかに掻き曇り、真っ暗になったと思ったら、雷と共に大粒の雨が激しく降ってきたのだ。

ほんの10数メートル離れたところに止めた車まで、ずぶ濡れになりながらほうほうの体で戻る。前も見えない、滝のような雨だった。大原さんが車のなかで、

「こりゃ、犬塚さん怒ったかな」

とつぶやいた。

まさに「秋水一閃」、忘れられない夏の思い出である。七夕の星に、犬塚大尉のみたま安かれと祈りたい。