【太平洋戦争秘話】74年前、七夕の空に散った日本初ロケット戦闘機

潜水艦がドイツから持ち帰った最新技術
神立 尚紀 プロフィール

難航するロケットエンジンの開発

最初のロケット機要員に選ばれたのは、小野二郎大尉と、学窓から海軍を志願し、戦闘機の実用機訓練を終えたばかりの飛行専修予備学生13期出身の少尉16名。そのうちの一人、高田幸雄さんによると、横須賀海軍航空隊に集められた搭乗員は、軍医立会いのもと、密閉された低圧実験室に入れられ、そのなかで体操して体調の変化を確かめたり、氷点下30度の低温下、高度1万メートルに相当する気圧まで3分で下げる実験を繰り返した。

 

「2000メートルぐらいまで急激に気圧を下げると、突如一面にダイヤモンドダストが発生し、思わず見とれるほどきれいだった」

と、高田さんは回想する。気圧の急激な変化に、体内に溜まったガスが急膨張するのを防ぐため、当時としては豪華な食事が供され、毎日、大小便の提出まで求められた。これらは、未知の領域に対処するための人体実験と言っていい。

2ヵ月にわたり実験を繰り返したのち、ロケット機要員は百里原飛行場(茨城県)で、零戦など既存の機体で操縦訓練に入る。部隊の名は「横須賀海軍航空隊百里原派遣隊」。それでは長すぎるので、新たに名づけられた略称が「秋水部隊」だった。これは、未来の愛機を名刀に擬して、「秋水一閃、驕敵(きょうてき)を斬る」という、一人の少尉の言葉から採られたと言われている。そしてその名が、そのままロケット戦闘機の名称になった。

10月、この秋水部隊に、のちに初飛行のテストパイロットとなる犬塚豊彦大尉が着任してきた。犬塚大尉は、水上偵察機の操縦員出身だが、陸上機への転換訓練を受けている。大正11(1922)年2月17日生まれ、佐賀中学出身、海軍兵学校70期卒。温厚で偉ぶることなく、部下からの人望も厚い士官だったという。

軽滑空機での飛行を終え、着陸した犬塚豊彦大尉。機体は全面オレンジ色。離陸後に車輪を切り離すため、機体下面の橇による胴体着陸となる

肝心のロケット戦闘機(秋水)の開発は困難をきわめた。特に難航したのが、事実上、外形図と概念図を参考に自主設計に近い形となったロケットエンジンの開発である。

燃料(乙液)にはメタノールと水化ヒドラジンと水の混合物、酸化剤(甲液)に濃度80パーセントの過酸化水素水を主に使い、これらに安定剤兼反応促進剤を加える。甲液と乙液を混ぜることで化学反応を起こし、燃焼させて推力を得る。甲液の過酸化水素は純度が高く、あらゆる有機物と爆発的に反応する。

搭乗員要員だった高田幸雄さんによると、甲液を一滴床に落とせば、微細な塵が瞬時に酸化してパチパチと燃え上がるほどで、肌につけば火脹れし、特に取り扱いに注意が求められたという。

甲液と乙液の最適な配合を実現する燃料噴射弁の調整もデリケートで、ロケットエンジンの完成は予定よりも遅れた。最初の燃焼実験が行われたのは昭和20(1945)年1月中旬、全力運転が可能になったのは6月に入ってからのことである。

エンジンに先立って、秋水とほぼ同型の軽滑空機(木製羽布張り)と重滑空機(エンジンは未装備だが実機に近い)、2種類のグライダーが製作され、それぞれ昭和19(1944)年12月26日と20年1月8日、艦上攻撃機「天山」に曳航されて離陸、初飛行に成功する。操縦したのはいずれも犬塚大尉で、操縦性は良好と報告した。軽滑空機は「秋草」と名づけられたが、この名は隊員たちの間には浸透していなかったようだ。犬塚大尉に続いて軽滑空機の操縦訓練を受けた高田幸雄さんは、

「操縦してみて、そのすばらしいバランスにすっかり惚れ込んだ。各舵の反応もよく、垂直旋回や宙返りもスムーズだった」

と回想している。

秋水の操縦訓練用に作られた軽滑空機「秋草」。形状は秋水とほぼ同じだが、木製羽布張りのグライダーである

機体は未完成だが、2月5日には、秋水部隊を母体に、秋水を主力兵器とする初の実戦部隊、第三一二海軍航空隊が横須賀に開隊された。司令には、海軍戦闘機隊きっての実力者として知られた柴田武雄大佐、飛行長には柴田大佐の腹心ともいえるベテラン戦闘機乗りの山下政雄少佐、飛行隊長は水上偵察機出身の山形頼夫少佐がそれぞれ着任。犬塚大尉は分隊長を務めることになる。新しい搭乗員や整備員も次々と着任してきた。

完成した秋水が予定通りの性能を発揮するとして、問題になるのはその滞空時間の短さである。現にドイツでは、連合軍爆撃機がMe163Bの行動半径を避けて来襲するようになって、思うような成果が残せなくなっている。柴田大佐は遺稿となった手記に、

〈研究の結果、秋水を多数の基地に配備し、地上指揮誘導装置によってカタパルトから発進させる、という方法を考えついた。〉

と記しているが、もはや日本に、新たにその誘導装置を開発する時間的余裕はなかった。