なぜ日本人は右傾化するのか? 誰もが「居場所」を過剰に求める時代

古谷田奈月×中島岳志【特別対談】
文藝編集部 プロフィール

「99匹と1匹」の話

古谷田:私はいまのお話を聞いて、加藤智大は芸術の言葉を蹴飛ばして事件を起こした、というよりもしかしたら、自分のものにした上でそうしたのかもしれないと思いました。蹴飛ばしたのではなく。

つまり、文学や芸術といったものは必ずしも人を社会的な救済に導くわけではなく、もちろん受け手によるものではあるけど、孤独や絶望、悪でさえも肯定し、受け入れてしまう力があると思うので。

中島:それはそうですよね。

古谷田:とにかく闇との相性がいい、というか、すべての作品が闇生まれかもしれない。

 

中島:でも、ある文章がかけがえなく生きる糧になる可能性を持つ、ということはあると思うんです。福田恆存という評論家が「99匹と1匹」といって、「世の中で100匹が迷っていたら、99匹を救おうとするのが政治である」と言うんです。

福田によれば、政治というのは、基本的に互いに分かり合えない多様な人間たちで構成される社会を成り立たせるための、利害調整や合意形成を行うことです。そう簡単に人は分かり合えないぞ、という人間観に基づいた仕組みづくりです。

たとえばお金があって、自分の望んだ環境も得た、それでも孤独である、という人はいっぱいいると思うんです。それがおそらく「1匹」で、ここに政治は届かない。つまり、ひとりの人間は、ある時は「99匹」で、ある時は「1匹」なんですよね。

この「1匹」を救うのが芸術であり、特に文学である、ということを福田は確信している。そして重要なのは、この「1匹」を政治が救おうとしてはいけないということなんです。

八紘一宇とか、みんなでひとつの思いを共有しよう、みたいな政治のあり方はファシズムにつながるんです。

古谷田:そうか。「1匹」まで政治で捕まえようとするとファシズムになるんですね。

中島:そういう、みんな分かり合えるよね、っていう政治を目指さない、ということを僕は決めている。加藤智大の中にあった「1匹」の部分に対して、政治は無力であるということを自覚しないといけない。それは芸術の領域、つまり文学とか音楽とか、そういうものでしか救えないものなんだと。

〔PHOTO〕iStock

古谷田:彼のことは他人ごとじゃないというか、居場所がないというあの感じは自分のことのように思える部分があるんです。

私が彼のように居場所探しをせずに済んでいるのは、「書く」という性質が備わっていて、それが私という存在を肯定し続けてくれるから。本当にただそれだけの違いです。しかもこの性質は努力して獲得したものではなく、幼い頃からあるもので、単なる運なんです。

だから、これはおこがましい考えだけど、もし自分が彼の救いになれるとしてもそれは友だちになるとか話し相手になるということではないと思う。私にできるのはやっぱり小説を書くことだし、人間には小説でしか触れられない部分がある。その感覚は強くあります。

中島:僕は「1匹」を救うものの方に関心があって、逆説的に政治学をやっているところがあって、「100匹」を捕まえようとした政治の危なさを追いかけて、それで政治には何ができないのかということをずっとやり続けているんです。だから、信用しているのは文学の方なんですよね。

でも、日本文学に絶望していた時期というのもあって、それは僕が論理で説明できてしまう作品に対して、頭にきたからなんですけど、それでも、やっぱりどこかで信頼できる作家が現れる。僕が説明できないことを描こうとしていることに、強い共感と敬意を感じるんです。古谷田さんの今作からは、それを強く感じました。

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