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フランス版・豊臣秀吉? 日本人が知らない豪傑「アンリ4世」の生涯

その名も「大王(ル・グラン)」

ブルボン朝一の人気者アンリ4世

フランスのブルボン朝は、しばしば「ルイ王朝」といわれる。ルイ13世、ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世と続いて、世界史の受験生泣かせといわれるほどだからだ。ところが意外なことにブルボン朝の初代はルイではない。1589年に始祖となったのはアンリ・ドゥ・ブルボン、即位してアンリ4世なのである。

 

そう明かしても、ふうん、くらいの薄い反応か。王族ブルボン家の末裔で、その血筋から王位継承権があって、たまたまヴァロワ朝が断絶したので、運よく王位に就いた人物くらいに思うからだが、それは日本人の反応だ。フランスでは違う。アンリ4世は「大王(le Grand)」と呼ばれて、歴代フランス王のなかで最も人気が高い。大方の日本人には、まさに知られざる大王なわけだが、それでは何故の大人気なのか。

外様から成り上がった「大王」

まずもってアンリ4世は、生まれながらの王ではない。ブルボン朝を始めたのだから当然だが、別な言い方をすれば大切に育てられた王子──上品で、教養が高く、趣味も洗練されているかもしれないが、どこか線の細さを感じさせる御曹司──ではなかった。

それでも王族の生まれだと返されるかもしれないが、少なくとも宮廷の生まれではない。出生の地がポーで、現在はピレネ・ザトランティーク県の県庁所在地になっているが、いってしまえばフランスの南西の隅、もうスペイン国境に近いピレネ山麓である。父アントワーヌは確かにブルボン家の貴公子だったが、母ジャンヌ・ダルブレはこの僻地に盤踞する大諸侯、アルブレ家の娘だったのだ。

母方の領国を手にしたアンリは、日本史に例えれば江戸時代の外様大名に似た立場だった。都からの離れ方では、薩摩島津家にも比べられるか。それをいうなら、アンリには薩摩隼人に近いニュアンスもあった。ピレネ山麓は俗にガスコーニュと呼ばれたが、その土地の人々=ガスコンは、猪突猛進の熱血漢で狡知に長ける難物と特筆された。そのガスコンの典型が、アンリ4世なのだ。

粗野で、王になってからパリで笑われたように多分に野暮でもあったが、なにするものぞと力あふれる快男児は、フランス乱世に快刀乱麻の大活躍、あげく天下を手に入れる──となれば、これは痺れる。我々が幕末維新の薩摩隼人たちに覚える痛快感を、フランス人はアンリ4世に覚えるのだ。