「もしできなかったら」

スニーカーを履くのはこの日がはじめてだった。ふだんの自宅での練習は、むき出しの足部でそのままフローリングの床を歩いていた。スニーカーとフローリングの相性が悪いらしく、とても歩きづらかったからだ。はじめてスニーカーを履くことも不安要素のひとつで、硬質ゴム素材のトラックとの相性も気になっていた。

練習ではまだほとんど歩けてない状態で、はたして何メートル歩けるのだろう。そんなことを考えていると、遠藤氏が近づいてきた。

「コンバースのスニーカーが届いてなくて。すいません、いまから取りに行ってきます」

遠藤氏は雨の降りしきるなか、スタジアムを出て行った。

スニーカーが到着するまでの30分、私はひとりで考えていた。

まともに歩けたこともないのに、新しいスニーカーで歩くなんて無謀なことだ。だけど、 超福祉展で披露する映像をインパクトあるものにするには、どうしても数メートルは歩かなければならない。普段はポジティブに考えるタイプの私だが、つい気を許すと、「もしできなかったら」と弱気の虫が湧いてきた

正直に告白しよう。

私は歩けるようになりたいわけではない。40年間のつきあいとなる電動車椅子の方が、はやく楽に目的地に到着することができる。では、なぜこのプロジェクトに参加したのかといえば、遠藤氏と落合氏に話を聞き、障害や病気といった理由で歩くことを諦めている人々に、「歩けるようになるかもしれない」という希望を届けたいと思ったからだ。

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プレッシャーを「使命感」に置き換える

「広告塔」という言葉が浮かんだ。そうだ、私は「乙武義足プロジェクト」の広告塔になるのだ。今日の撮影は、いわばこのプロジェクトのプロモーションビデオの撮影なのだ。

私は両足にかかるプレッシャーを「使命感」という言葉に置き換えた。

遠藤氏がいない間も、ある人は義足のチェックで、ある人は撮影ポイントの確認で、それぞれが最終準備のために動き回っている。私だけが手持ち無沙汰で、待ち時間がやけに長く感じられた。普段はめったに感じることのない胃の痛みが煩わしかった。

遠藤氏が到着し、むき出しだった足部にコンバースのスニーカーが履かされる。黒のスウェット地に、同じく黒の少し光沢のある靴紐。うん、気に入った。

「乙武さん、よろしくお願いします」

3台のカメラがスタンバイしている。北村が私の肩から手を離し、離れていく。全員がカメラの後ろにまわった。