なぜ日本のスケーターとファンがこれだけ悲しむのか

悲劇的な死といえども、なぜそれほどまでに、遠い異国のスケーターの死に、日本のスケ―トファンが悲しみ、今なおその死を惜しむのか。それはデニス・テンさんのノーブルで情感豊かなスケートの魅力もあるが、何よりも、さまざまなエピソードから伺える、ユーモアのある温かな人柄が愛されていたことが大きいのではないか。

彼の死は単にアスリートの死ではない。母国では「英雄」として、オリンピック招致活動をはじめ、スポーツや文化の発展になくてはならない人材であったはずだ。そして才能豊かでリーダーシップのあった彼が、絆のあった各国のスケーターと、スケートに留まらぬ、国境を越えた活動をなすはずだった未來まで失ってしまったことも、みな残念でたまらないのだ。

そんな彼の人柄がしのばれるエピソードもいくつか紹介しよう。ロシアのタチアナ・タラソワコーチのもとで、ともに学び、家族ぐるみで交流があった浅田真央さんは、11年12月に母-匡子さんを病で失った。その時デニス・テンさんは、いち早くこんなメッセージを送っている。

「浅田のお母さんがモスクワで僕たちの練習を見ていたことを昨日のように思い出す。彼女はとてもステキな女性でした。真央と舞には、どうか強くいてほしい」

翌年、2012年の夏には、母親を失った悲しみで、スケートに向かう気力もなくなっていた真央さんは、娘のように見守ってくれていたカナダの振付師、ローリー・ニコルさんの家に姉の舞さんと共に滞在していた。他のスケート仲間とテニスやバーベキューなど、普通の生活をしながら癒されていたその傍らには、デニス・テンさんの姿があった。 

デニス・テンさん公式インスタグラムより