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「かもめ食堂」の監督が切り取った、この時代の側面とは

「脚本に足」が生えたものを小説に!?

そうだ、小説を書こう

泳いでないと死んでしまうマグロと同じで、映画を作ってないと死んでしまうのが映画監督です。大げさかもしれないけれど、本当に。20代で映画を作り始めてからずっと、何年たっても、何本作っても、いつもいつも毎日毎日、映画を作りたくて作りたくて仕方がありません。

 

誰に頼まれたわけでもないのに、ひとり勝手に物語を思い浮かべ、ギャランティが保証されているわけでもないのに、ひとり勝手に脚本を書き、そして映画を作るということを20年以上続けてきました。そして今回もまた、映画を作る情熱のもと脚本を書き、映画化が決定し、さあ撮るぞと意気込んでいたら、なんと撮影は中止。映画化は流れてしまいました。

もう悔しくて悔しくて、三日三晩眠れずに、いますぐプロデューサーを蹴りに行くか、制作会社に殴り込みに行くか、悶々と迷って悩んで4日目の朝、そうだ、小説を書こう、と思い立ちました。

ネガティブな感情は常に私にエネルギーを与えます。思い立ったその日から書き始め、勢いにまかせて2週間ほどで最後まで書き終えました。もちろん流れた映画の脚本が元になっています。書き終えたものをいざ、編集者(女性)に見せると、いともあっさりと、これは小説ではないですね、と言われる始末。

ええ!では何なのでしょうか。一体何を私は書いてしまったというのでしょうか。心折れそうに戸惑っている私をよそに、編集者(若い)は涼しい顔で答えます。まだまだ小説にはほど遠い、脚本に足が生えたようなもの、とでも言いましょうか。

むー、と唸り潰れたカエルのような顔をしている私に、編集者(美人)は手取り足取り、その脚本に足が生えたような得体の知れないものを小説の形へと導くべく、ある時は野球部の鬼監督のごとく、ある時は優しい家庭教師のごとく、姿を変え、言葉を変え、私を奮い立たせるのでした。

このシーン意味ありませんよね。描写が足りません。説明不足です。そんなことを言われ続け、私は日夜泣きながら(ウソ)編集者(頭も良し)の指導のもとで『川っぺりムコリッタ』を書きあげました。