筆者撮影

ハンセン病家族「画期的勝訴」社会を動かすきっかけは一冊の本だった

真に過ちを認め、記憶するために

家族まで、結婚を拒まれた

「思いよとどけ!」――。その日、熊本地方裁判所の正門前には、全国各地から集まったハンセン病回復者、そして支援者が集まり、横断幕を掲げていました。

6月28日(金)14時、熊本市の熊本地裁101法廷で「ハンセン病家族訴訟」の判決公判が始まりました。

正門前には、筆者を含む報道陣が回復者・支援者たちを囲み、それをさらに、傍聴席に入りきれなかった関係者が取り囲んでいます。支援者の一人が、メガホンでこう指示します。「撮影NGの方は、裁判所の向かいで待機してください」

近くのカメラマンが同僚と話していました。「待っている人の中に、原告はいるのかな?」「わからないよ。いるかもしれないし、いないかもしれない。自分で原告だと名乗れる人、顔を出せる人はたった数人なんだから」

561人の原告のほとんどが「匿名」の訴訟。その事実がそのまま、「らい予防法」によって生み出された、ハンセン病の患者だった人々、そしてその家族に対する偏見や差別が、今なお続いていることを物語っています。

 

14時5分過ぎ――。誰かが「来た来た!」と叫びました。駆け出してきた弁護士二人が、門の前で「勝訴」と大書された紙を掲げると、一斉に歓声があがりました。

正門の真正面で待っていた人の中に、ハンセン病回復者で、鹿児島の療養所「星塚敬愛園」に住む上野正子さん(92歳)がいました。上野さんは椅子に座ったまま、誰に向かって言うわけでもなく語り始めました。

「私には、1歳と2歳の時に離れ離れになった弟たちがいます。私が病気になったために、いじめに遭い、結婚を拒まれた。それで、勇気を持って訴訟に立ち上がり、原告になったのです。きょうは弟たちも(住んでいる)石垣島で勝訴を聞いて、喜んでいると思います」

ハンセン病回復者の上野正子さん(写真右、筆者撮影)

また、東京から来た支援者もいました。東京・台東区の訪問看護師、渡邉怜子さん(37歳)。渡邉さんは熊本地震のボランティアに加わった時、知人の勧めで星塚敬愛園を訪れ、上野さんと知り合いました。

上野さんのように、らい予防法によって隔離され壮絶な人生を送ってきた回復者の体験を知った渡邉さんは、それから2年間、地元で勉強会を開き、療養所の入所者や退所者の話を聞いてきました。

「初めてこういう判決の瞬間に立ち会えて、(勝訴は)当たり前の結果だと思うんですけど、世の中の状況から不安に思うところもあったので、本当によかったと思っています。ただ、これで終わりじゃない。この結果を受けて、今度は社会が動かないと意味がありません。これからもハンセン病問題を伝え、語り継ぐ活動を続けます」と、渡邉さんは決意を新たにしていました。