地下鉄「無人運転」が、フランス人にできて日本人にできなかった理由

「文化とエスプリ」のおかげ?
川辺 謙一 プロフィール

鉄道を社会全体で支える考え方へ

鉄道の安全に対する一般的な認識も、日本とフランスでは差があるようだ。  

そもそも、鉄道の事故やトラブルを100%防ぐことは不可能である。それらが発生する確率は、安全対策を施すことにより小さくすることはできても、ゼロにすることはできない。

このことは、鉄道業界に従事する人など、知る人にとってはごく当たり前のことである。ヨーロッパでは鉄道に限らず、日本とくらべると物事がスムーズに進まないことが多いので、おそらくこの考え方が一般にも通じやすいのだろう。

ところが日本では、トラブルを前提とする思考は受け入れられにくい。ある鉄道事業者の幹部はこう言う。「日本では鉄道に対する期待が高く、鉄道が安全であることが当たり前であると考える人が多い」。

そのためか、鉄道でひとたび事故やトラブルが起こると、過剰とも思える反応やバッシングがあり、事業者の責任が強く問われる傾向があるし、かえって安全対策の議論も深まりにくい実情がある。

 

たとえば、この6月には、横浜の新交通システム「金沢シーサイドライン」で、無人運転の電車が逆走する事故が発生した。

事故によって負傷者が出たことは残念であるが、一方で、これだけを根拠に「無人運転は危険」と決めつけるのは早計だ。鉄道事業者やメーカーなどの責任を必要以上に問うことは、当事者を過度に萎縮させることにも繋がり、かえって新たなミスを招く恐れもある。

これからの日本には、地下鉄を含む鉄道の無人運転がますます必要となるはずだ。国の総人口だけでなく、生産年齢人口が急速に減少し、鉄道では利用者だけでなく、それを支える労働者も減ってゆく。

となれば、従来の運営方法で鉄道を維持することは難しくなるので、近年では複数の鉄道事業者が、自動運転や無人運転の導入に向けた取り組みを始めている。

こうした時代の変化に対応するには、われわれ鉄道利用者も発想の転換が必要だ。「お客様」として一方的にサービスを受けるという立場から脱却し、鉄道が取り巻く環境の変化を理解し、鉄道を社会全体で支えるという考え方で無人運転などの対応を少しずつ受け入れていく。そうした変化が、今後は日本でも求められるのではないだろうか。