地下鉄「無人運転」が、フランス人にできて日本人にできなかった理由

「文化とエスプリ」のおかげ?
川辺 謙一 プロフィール

日本人の「許容範囲」の狭さ

では、なぜパリでは無人運転が社会的コンセンサスを得ることができ、日本の大都市では得られていないのだろうか。

先ほどの報告書には、パリの「メトロ」で無人運転が実現した理由を「フランスの文化、フランス人のエスプリの所産といわざるを得ない」と記してある。つまり、フランスならではの環境があり、広報活動や議論を通して課題をクリアできたことが、社会的コンセンサスを得ることにつながり、実現に至ったのだ。

とはいえ、RATPと同様のやり方が日本でも通用するとは限らない。そもそも日本とフランスでは、社会や文化において根本的に異なる点が多々あるからだ。

 

筆者は先月、そのちがいを少しでも知ろうと、パリに1週間滞在してみた。もちろん、フランスのお国柄を知る期間としては短すぎるが、それでも日本では考えられないようなトラブルにたびたび遭遇し、社会や文化のちがいをまざまざと思い知らされた。

そもそも日本とくらべると、フランスでは物事が思い通りに進まないことが多い。日本からの長いフライトを終えてホテルについたら、テレビが映らないし、エアコンが動かない。地下鉄に乗ろうとしたら、自動券売機が壊れている。別の鉄道で移動しようとしたら、突然の運休でホームに至る階段が閉鎖されている。このようなことが日常茶飯事なのだ。

パリ・メトロでは、他路線の無人運転化も検討されている(Photo by gettyimages)

そこで筆者は、ある電機メーカーの幹部から聞いた話を思い出した。

「ヨーロッパの鉄道では、故障することを前提として機器を設計するという考え方がある。しかし、日本の鉄道では、この考え方がなじみにくい」

たしかにこれだけ故障に遭遇する機会があると、故障が起きても安全に機能するように機器を設計するのは自然な流れだ。一方、鉄道輸送の混乱を避けるあまり、ある程度の故障やトラブルすら許容しない日本の考え方は、フランスから見れば極端であり、奇異に映るだろう。