日本の憲法学者だけが使う「奇妙な言葉」に多くの人はダマされてきた

日米安保条約を見直すかどうかの前に
篠田 英朗 プロフィール

国際連盟規約と憲法9条

憲法9条の内容を要約すると、国際法を遵守する、である。そのことがはっきり分かるように、憲法起草者は、9条1項を、1928年不戦条約と1945年国連憲章からの「コピペ」の文言で書き上げた。

9条2項で不保持を宣言している「戦力(war potential)」は「戦争」の「潜在力」、つまり、1項で放棄した国際法上違法の「国権の発動としての戦争(war as a sovereign right of the nation)」を遂行するための潜在力のことである。

日本の憲法学者だけが使う「自衛戦争」という奇妙な言葉がある。この概念操作で多くの日本人が騙され、「自衛戦争」も「戦争」だから違憲だといった的外れな議論を数十年にわたって繰り返すようになった。

 

しかし、国際法に「自衛戦争」なる概念はない。あるのは「自衛権の行使」だけであり、それは「戦争」遂行を目的にした行為とは違う。

2項で否認をしている「国の交戦権(the right of belligerency of the state)」も、国際法には存在しない概念だ。存在しないものを否認しても、何も失わない。

「交戦権」とは、むしろ大日本帝国下の日本人が、対外侵略行動を正当化するために使っていただけの概念である。

戦時中も司令官だったマッカーサーは、信夫淳平などの戦時中の国際法学者が「交戦権」なる概念を用いていたことを、知っていたのではないか。それであえて「交戦権なる謎の大日本帝国時代の概念は二度と認めない」という条項を憲法に入れたのだろう。

いずれにせよ、「戦力不保持」が大日本帝国軍の否定であって自衛隊の否定にはならないように、「交戦権否認」は大日本帝国時代の概念の否定であって国際法上の権利の否定にはならない。

「戦力不保持」と「交戦権否認」で日本国憲法が言っているのは、「二度と国際法を無視しない、これからは国際法を遵守する」ということだ。

ところが日本の憲法学者たちは、それでも国際法を参照しながら憲法を読むことを拒絶した。徹底して「憲法優位説」を主張し、国際法から逸脱した憲法解釈を「通説」として打ち立てる社会運動を組織し続けてきた。

GHQの憲法起草者たちは、ここまで強く日本の憲法学者たちが、「憲法優位説」を唱えて国際法を無視する解釈に固執することは、予測していなかったのではないか。

憲法学者たちも、憲法9条1項が国際条約の「コピペ」でしかないことは知っている。それでも国際法にそった解釈を拒絶するのは、2項を根拠にして1項に戻って解釈を作り出すという「ちゃぶ台返し」のウルトラCを「通説」としているからである。

ところが、この「ちゃぶ台返し」は、「戦力」と「交戦権」の二語の独自の想像的解釈にだけ依拠している。

国際法に存在しない概念であることを逆手にとって、日本の憲法学独自の想像力溢れる意味内容を勝手に「戦力」と「交戦権」の二語に入れ込んでくる。

そして憲法学者が行った想像力コンテストの結果を理由にして、国際法にそった1項の解釈を否定し、憲法全体の国際協調主義を否定し、自衛隊は違憲で、自衛権の行使も違憲だ、などと叫びだす。

日本の戦後70年以上の歴史は、この憲法学者たちが見せた「『戦力』・『交戦権』概念の内容想像コンテスト」によって、振り回されてしまった歴史だ。

ところが、この歴史は、憲法9条が国際法遵守規定であるということに気づくならば、一瞬にしてひっくり返る。

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