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アメリカはなぜ「知性に重きを置かない」国になったのか

『ファンタジーランド』を読む(後編)

【前編はこちら】

「狂信的な反知性主義」

アン・ハッチンソンという女性が17世紀初頭のアメリカにいた。いまでは偉大なヒロインとして称えられている。

彼女は独自の宗教活動をおこない、それを糾弾されたが、屈することなく最後まで戦った。その部分において、現代では強く賞賛されている。

アン・ハッチソン〔PHOTO〕Wikimedia Commons:File:Anne Hutchinson on Trial

しかしそれがまたアメリカの問題なのだ。彼女の特質は女性の解放にあったのではない、と『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(カート・アンダーセン 著、山田美明 ・山田文 訳/東洋経済新報社)では言う。

彼女は、常に神に話しかけられていたらしい。それを彼女は強く信じ、熱狂的に周りにも教えていった。彼女の言うことを信じない者にとっては、ただの魔術的な存在である。しかしどれだけ「論理と理知」で攻められ、否定されようと、彼女は自分の言うことを曲げなかった。自分の信念を貫き通した。

彼女をどう評価するのかは立場によって違う。

 

裁く側(当時の社会を堅持した者たち)から見れば「人の言うことをまったく聞き入れない独善的な存在」でしかない。早い話が「いかれた人」であり悪魔に取り憑かれた人となる。マサチューセッツの裁判所ではそういう判断をなされた。

しかし、のち、彼女はアメリカ的存在として顕彰される。「狂信的な反知性主義」というアメリカ社会の特徴の、彼女はその原型だったのだ。

「私は私を信じる」の一言で、その「私」に対して何の説明もすることなく、その信念を押し通したところがアメリカ人に愛される由縁なのだ。つまり多くのアメリカ人は、彼女のように生きたいと願っているということである。

アン・ハッチンソンの裁判から半世紀のち、1692年にマサチューセッツのセイラムで大がかりな魔女裁判が開かれた。少女たちが奇妙な行動に出始め、それは村内にいる魔女の仕業だとされ、20名以上が「魔女」として死刑になった。神権政治が真剣に執り行われていたころのアメリカの悲劇である。

アメリカは「神の言葉を信じる者たち」の国だったのだ。

ま、早い話が「やばい国」である。17世紀からそうだった。