アメリカという「狂信的な国」はどんなふうに生まれたか

『ファンタジーランド』を読む(前編)
堀井 憲一郎 プロフィール

旧大陸(ヨーロッパ)は古く旧態依然としており、新大陸(アメリカ)は新しく危なっかしいということでもある。

「欧米」というふうに西洋諸国をひとからげにまとめて見ているアジア人にとっては、アメリカとヨーロッパのそういう差異に気がつきにくい。まあ、欧米人だって、ベトナム人と中国人と日本人との区別がつかない人もたくさんいるだろうから、どっちもどっちではあるんだけれど。

欧米文化圏内での認識では、イギリスやオランダやスペインに比べると、アメリカはかなり新しくエネルギッシュで、それでもって特殊な国となるようだ。少なくともアメリカ人は自分たちのことをそう規定している。

たとえば。

アメリカではいまだに「進化論」を認めない人たちがかなりいる。という。

そういう話を聞いたことはある。

「人間は、サルの仲間のうち変わった連中が進化をして、いまの形になったのだ」、という21世紀世界ではわりと広く信じられている言説を認めない人たちがいる、という話である。

人類は聖書に書いてあるとおりに、全能の存在がいきなり創り出したという話を信じている。そういう人たちがいるらしい。

ほんとうにそんな人がいるのかと、非キリスト系のアジア人としてはぼんやり聞いているしかないのだが、この本を読むと、実際に強く信念を持って存在していることがわかる。

信念の問題である。

その人たちは学校できちんと勉強してこなかった、ということではない。そもそも「学校で、進化論を教えるな/全能存在による創造論を教えろ」というのが彼ら彼女らの主張でもある。彼ら彼女らも進化論の蓋然性は知っている。それでも認めようとしないところが特徴なのだ。

 

信じたいほうを、信じる

本書を読んでから私が想像するところによれば、そういう人たちは科学や客観的事実よりも「自分の感覚」を大事にしている、ということなのだ。

彼らはおそらく「人間は、進化して出現したのか、突然に出現したのか、そんなことはどっちでもいまの生活に関係ないんだから、だったら信じたいほうを信じていいだろう。おれは神のほうを信じる」という人たちなのだ。そして「おれは勝手に信じているだけだから、かまわないでくれ」というふうな態度である。

みんなで共通の知識を持とうとしてるようだが、そんなことして何か意味があるのか、という問いかけでもある。おれには意味がないからおれの好きにさせてくれ、と言われれば、どうしようもなくなる。

アメリカ人の根本はどうやらそのへんにあるらしいのだ。