うつ病が「人生の苦悩」から「脳の疾患」に変化したことの意味

うつ病の医療人類学
北中 淳子 プロフィール

それと連動するかのように、日本でも、「うつ病」という概念がメディアを通じて急速に一般の人々にも広がった。その結果、自分の「生きづらさ」はもしかすると「うつ病」ではないか、と感じ、クリニックを訪れる人たちの数も一気に増えた。今まで精神科医が出会わなかったような広い範囲の人達が、自らがうつ病であると信じ、時にはうつをアイデンティティ化して、診断を求めてくるようになったのだ。

たしかにそのことで、精神障害に対するスティグマから陰に隠れて苦しんでいた人たちが、堂々とその苦しみを語り、助けを求められるようになったことの効用は大きかった。また、自死が「覚悟の自殺」といった言葉で、個人の自由意志による行為としてロマン化されて語られがちであった日本において、これがうつ病によって、個人の意思とは関係なく衝動的に行われうるという知識が広まったことも、極めて重要な変化だった。

また前述のように、日本ではうつ病の流行が、バブル崩壊後の史上最悪の自殺率とも重なることで、単に個人の脳内異常としてのみならず、社会が構造的に生み出す「ストレスの病」「過労の病」として認識された点にも注目したい。このような思想は、うつ病を個人の生きづらさの病、もしくは「神経化学的自己」の変調としてのみならず、労働問題、社会全体の病理として想像することを可能にしたからだ。

ストレスチェックの開始により、人々が日々の生きづらさを仕事との関連において振り返る習慣も浸透し始めている。つまりこの時期の動向は、神経科学的理解によって深い自己物語が奪われていくものでもあったが、他方でうつの社会化により別種の自己物語――さらには社会運動――を可能にする側面をも有していたのだ。

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ただし、急速なうつの「医療化」がもたらした弊害も大きかった。2000年代中盤以降、大量の数の患者が現れ、うつ病診断が次々と出されることで、うつ病自体がより多彩な現象になっていき、臨床での混乱も深まっていく。

多種多様な生きづらさを訴えてくる患者に対しても、多くの医師は、もともと狭義のうつ病を対象にしてつくられた治療法で対処し続けた。その結果、抗うつ薬と休養に基づいた伝統的な治療ではよくならず、むしろ悪化する人達の数も一気に急増してしまったのだ。

 

この混乱の背景には、1980年にうつ病の概念を一気に広いものにかえたアメリカ精神医学界の診断マニュアル(DSM-III)を用いると、鬱の原因を問わないまま「うつ病」と診断することが可能になったという事情もある。

したがって、たとえ明確な理由がなくとも、突然バイオロジカル(生物学的)に意欲が低下し心身ともに変調をきたすいわゆる伝統的な「内因性うつ病」も、親しい人との別れや失恋、悲しい出来事や、上司に叱咤され仕事で重責が降ってきたといった時に経験する神経症的側面の強いうつ状態も、すべて一括りに「うつ病」と診断され、環境調整もないまま、単に薬だけが処方されるケースも増加してしまった

軽症なうつ病に推奨されている精神療法に関しても、日本では系統だったトレーニングを受けた医師が極めて少ないこともあり、効果的に用いられているとはいいがたい状況が続いている。