うつ病が「人生の苦悩」から「脳の疾患」に変化したことの意味

うつ病の医療人類学
北中 淳子 プロフィール

日々無理に笑顔を演じ、心を管理し続けることで疲弊に至る、その構造的仕組みが問題とされたのが20世紀後半だった。19世紀からの転換期に、産業化社会の矛盾を目の当たりにしたマルクスが、工場労働がもたらす疎外に対して警鐘を鳴らしたとしたら、20世紀後半には社会学者ホックシールド(2000)が、現代のサービス産業が要請する「感情労働」が、新しいタイプの心理的疲弊をもたらしていることを指摘している。

労働者は顧客や雇い主から理不尽な要求を受けても相手を思いやり、共感的に接するよう求められるが、そのことで自己からの疎外、心の断絶が起きることになる。その意味において、うつ病は単なるプライベートな感情の病ではなく、きわめてパブリックな社会病理でもある

電通事件をはじめ、1990年代以降日本で争われた一連の過労うつ病、過労自殺裁判においては、職場のストレスによって社員がうつ病に至り、自殺にまで追いつめられるメカニズムが解明された。

このように個人の生きづらさのみならず、それを産み出した労働環境が問題視され社会的救済への道が開かれたことの意味は大きい。自己の物語が問われるだけでなく、社会的回復への道が模索されているという意味で、歴史的にも、こころの病に関する新たな感受性が台頭しているようにも当時はみえたからだ。

 

「神経化学的自己」が発症する鬱

ところが、21世紀転換期とは、このような実存的苦悩に根差した「深み」のある「心理的人間モデル」が徐々に後退し、そのかわりに脳神経科学や認知行動療法が提供するどこかフラットで軽やかな「神経化学的自己」が隆盛した時期でもあった。

特に1990年代以降世界的に大流行した新世代抗うつ薬の影響下、うつ病とは自己の生き方の問題というよりは、単なる脳神経化学的変調に過ぎず、薬による回復が比較的容易な病として捉え直されたといえる。

さらに抗うつ薬は、うつ病を治すためだけでなく、たとえ病気でなくても、服用者の生産性・創造性を高め、より明るい性格にさえなれる「エンハンスメント・テクノロジー」としても賞賛されるに至ったのだ。

このような言説が流行った2000年代前半とは、ヒトゲノム計画による遺伝子解析の結果に基づいて、精神障害の原因が解明され、生物学的治療が可能になるというバイオロジカル・オプティミズムに溢れていた時期だ。PETスキャンやMRIといった脳画像技術等を駆使した診断・治療法によって、精神医学がより科学的な医療へ脱皮する可能性も模索されていた。

当時世界中に広まりつつあった抗うつ薬やリタリン等の向精神薬は、こころの病の管理を容易にするように見えた。このような希望の下、うつ病がWHO(世界保健機構)とWorld Bank(世界銀行)の主導によって“global burden of disease” (世界的な疾病負担)として再定義される中で、世界的にもうつ病が科学的に管理できる病との考え方が一気に拡散したのも無理はなかった。