Photo by gettyimages

昭和の大スター石原裕次郎が抱えていた、誰も知らない「宿命」とは

映画とテレビのあいだで

昭和の終わりと二大スターの死

今年は、「昭和の大スター 石原裕次郎」の33回忌となる。

1987年(昭和62年)7月17日、石原裕次郎は52歳で亡くなった。肝細胞癌だった。

この大スターの死で、「昭和の終わり」が始まった。

裕次郎の最後の入院は5月で、その前の4月に、美空ひばりも入院していたが、8月に退院した。

昭和天皇は夏になって体調がすぐれず、9月に手術をした。後にガンとわかるが、当時は「慢性膵臓炎」と発表された。

昭和天皇は12月には公務に復帰し、1988年(昭和63年)を迎えた。

美空ひばりも、4月11日に、東京ドームの杮(こけら)落としとして、奇跡の復活コンサートを開いた。

昭和天皇は公務をこなし、4月29日の誕生日の一般参賀でも手を振っていた。8月15日の全国戦没者追悼式にも出席、その後は那須御用邸で静養していたが、9月19日に大量吐血し、重体となる。

美空ひばりはレコーディング、テレビ出演、ホテルでのディナーショーをこなしていた。

日本中が自粛ムードに包まれたまま年を越した。

1989年1月7日、昭和天皇は亡くなり、昭和は終わり、平成になった。

しかし、人びとの間では、まだ、なんとなく昭和は続いていた。

美空ひばりは2月9日に北九州市でコンサートで唄いきった後、倒れた。数日後にヘリコプターで帰京して入院した。

美空ひばりが亡くなったのは、6月24日。裕次郎と同じ52歳での死。

これで昭和は完全に終わった。

 

スターの宿命?

その石原裕次郎の評伝として、命日の7月17日にあわせて、『石原裕次郎 昭和太陽伝』(佐藤利明著、アルファベータブックス)という評伝が刊行される。

裕次郎とひばりの2人とも、映画と歌の双方で成功した。

美空ひばりは、歌手が本業だが、映画スターでもあった。1950年代、60年代、松竹や東映で、160作以上に出演している。

石原裕次郎は日活のスターとして90作以上に出て、一方で歌手としても、ミリオンセラーを含め、多くのヒット曲を持つ。映画の主題歌を歌っていただけでなく、映画とは関係のない曲も多い。

石原裕次郎は、全国縦断コンサートを初めて行った歌手でもある。

だが、テレビの歌番組に積極的に出るわけではなく、レコードはかなり売れていたが、賞レースにも参加しなかった。大晦日に仕事をするなんて嫌だと、『紅白歌合戦』から出場依頼が来ても断った。

音楽の賞は、本人サイド、プロダクションやレコード会社が「獲る」と決めて、運動をしないことには受賞できないので、その気のなかった石原裕次郎は無冠だったのだ。

もし、石原裕次郎が積極的に歌手活動をして、賞レースにも参加していたら、歌謡曲の歴史も変わっていただろう。

本業である映画でも、石原裕次郎はほぼ無冠だったと言っていい。

映画史、あるいはテレビ史において、「石原裕次郎」は、「人気があった」と記されるのみだ。代表作はあるが、歴史に残る「名作」と称されるものは、実はない。

石原裕次郎 昭和太陽伝

「大スター」ではあったが、「名優」とは認識されず、その主演映画には、「大ヒット作」はいくつもあるが、「名作」と讃えられたものは少ない。

美空ひばりも、歌では賞を獲っているし、名曲は多いが、映画では無冠であり、その作品の大半は、熱心なファン以外には忘れられている。

娯楽映画のスターとは、そういうものだった。