「戦争反対」を唱えていたはずの講談社創業者は、なぜ変節したのか

大衆は神である(57)
魚住 昭 プロフィール

〈実は社長がお隠れになる前(の昭和十三年四月ごろ)に赤石さんと私と社長のお屋敷にうかがって、「報知新聞を、社長、お辞めになったらどうか」という話をしたことがあったんですよ。

とにかく社長が社長でいると、金をいくら使い込んでもあまり感謝もしないし、社長の財力をあてにするし、社長のような金持ちがいらっしゃるとどうしても出費が多くなるから、社長をとにかくお辞めになったらどうか、そうして報知のほうを引き締めたほうがいいんじゃないかという話をしたら、叱られましたよ。社長、怒りましたね。私にはあまり怒りませんが、赤石喜平を烈火の如くにね。

 

それは、聞いていられんですよ。どうして社長があんなに怒るのか、今もっておかしいと思うんですがね。まあ、赤石さんのいろいろなことに対して数々の不満をぶちまけられたんですね。それには赤石氏も這々の体で帰ってきました。

それで私にすぐ「相談がある」と言うんです。何ですかというと、「僕は社長のためを思って進言したところが叱られてしまったから、報知新聞を辞めようと思う。辞めたほうがいいだろうか」という相談でした。私はお辞めになる必要はないだろう、叱られても社長とは師範時代からの友だちだから、しかし、あなたの気持ちもわかるから、どうだろうここで半年ぐらい冬ごもりなさったらどうですか、そのうち社長は気が変わりますよ。社長としてもあれが本心じゃないだろうからと言ったんです〉

註1:佐藤卓己『「キング」の時代──国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店刊、2002年)より。