知性を使って歴史を楽しもう! 論理と解釈の歴史学

<日本史のツボ>のツボ 第3回その②
本郷 和人 プロフィール

父親そっくりな息子はごく普通にいますよね。たとえば当時から、秀頼さまは大野治長どのの子じゃないか,という噂はあった。これが本当で、しかも秀頼が治長そっくりだったとしたら。あるいは治長じゃなくても、「あっ!秀頼さまは○○どのにそっくり!」ということになったら。これは絶対に外には出せない。

いや、秀頼は家康と会いに二条城に出向いているわけで、これはさすがに珍説の域を出ません。実証が無理な案件であるほど、自重が必要ですね。

 

実証より論理が大切なのか?

実証と論理。もう少し言葉を補うなら、史料を調査して実証することと、史料を駆使して論理的に考察すること。

こうしてみると、実証は「調べること」と相性が良い。論理は「考えること」と相性が良い。

前回「知っていること」は大事だが、より大切なのは「考えること」だと述べました。とすると、実証は大事だが、より大切なのは「論理」を追求することだ、ということになりはしないでしょうか。

ぼくは日ごろ、『大日本史料』の編纂に当たっています。ぼくが担当するのは第5編で、これは鎌倉時代の承久の乱のあとから、鎌倉幕府の滅亡まで。今は建長3年をやっているのですが、たとえば建長3年5月30日に上乗院道乗大僧正というお坊さんが真言宗世界のトップ、東寺一長者に任じられました。すると、その史実を示す「東寺百合文書」、「東寺長者補任」、「東宝記草本」、「仁和寺諸院家記」、「系図纂要」を順々に掲載していきます。

史料の掲載の順番は、適当に、ではありません。ちゃんと意味がある。史料として確実なものから載せていくのです。この場合、「東寺百合文書」が第1に来ていますが、これは具体的には太政官の正式な文書の1つである「官牒」です。後深草天皇の命により、道乗を東寺一長者に任命する、というもの。

これに次ぐのが,歴代の東寺長者の名を記した「東寺長者補任」ですが、この史料は書き写されていくつもの写本が作られ、様々なところに残されている。和学講談所の本、浅草文庫の本、醍醐寺報恩院の本、宮内庁書陵部の本といった具合です。

いま『大日本史料』は教王護国寺(すなわち東寺)の金剛蔵188箱に収められたものが一番良いものではないかと考え、これを用いていますが、将来は変わる可能性もあります。

他に幕府関係ですと有名な「吾妻鏡」をよく用いますが、これには北条本、島津本、毛利本、吉川本などがある。島津本と毛利本は北条本の仲間と分類することができるので、いま『大日本史料』は北条本を用いて、語句が異なるところは吉川本も並記する、という形を取っています。これら史料の採用や採択は編纂者に任せられているわけですが(ですので今は5編はぼくが責任者です、えへん)、変わる可能性はある。

「吾妻鏡」でいうと、いろいろ検討し直した結果、やっぱり吉川本を底本(基本の本)にしよう、という事態もあり得るわけです。それは1年後かもしれないし、100年後かもしれないし、最後まで変わらないかもしれない。なにしろ5編が完成するのは今のペースだと800年後のことになりますので、その辺りはよく分からないのです。