埼玉県八潮市に、どうして「ヤシオスタン」ができたのか?
日本の異国を旅する・下編御殿場には中国人コミュニティ
どんな街にも、物語がある。
それは外国人がたくさん暮らすようになった場所でも同様だ。
例えば東京・高田馬場にはミャンマー人のコミュニティがあるが、それはそこからほど近い中井にミャンマー僧のいるお寺があったことがルーツになっている。やがて中井にも行きやすく、山手線と東西線が乗り入れ交通の便がいい高田馬場に、ミャンマー人が集住するようになったのだ。
また静岡県の御殿場には、いま新しい中国人コミュニティが形成されつつある。この街で働く中国人たちが片寄せ合うように暮らしているのだ。彼らの職場は、アウトレットモールだ。
「爆買い」で大挙する中国人観光客を出迎え、接客し、店を運営していく。中国人観光客の増加に伴い、受け入れる側の中国人もまた大きくなる。そしてお互いに助け合って暮らすため、コミュニティをつくっていくのだ。
『日本の異国』(晶文社)の取材では、外国人が暮らすさまざまな街を訪ね歩いたが、その成り立ちの物語はどれも興味深いものだった。
私がとくに注目したのは、埼玉県の東南部だ。実にたくさんの外国人が生活している。その中心となっているのは川口市だろう。横浜市、名古屋市に次いで、日本で3番目に外国人が多い自治体なのだ。
お隣の蕨市には、クルド難民が増加していることで知られ、その実情は『日本の異国』でも取り上げた。ほかにも、戸田市、草加市など、このあたりは外国人の人数、比率ともに日本でも上位に位置する自治体が並ぶ。
なぜだろう?
少し調べてみると、バブル期に源流があることがわかった。埼玉県東南部は首都圏でもとりわけ小さな町工場が密集する場所だ。製造業の、日本のものづくりを支える最前線のひとつといえる。
そして1980年台後半からは、景気の拡大によって人手がまったく足りなくなった。そこで外国人に頼る動きが広がったのだ。少子高齢化による人手不足の現在とはだいぶ違うが、こうして埼玉県東南部には外国人が根づいていく。バングラデシュやイラン、トルコといった人々が多かった。
パキスタン人が祖国の味を求めて
「その中には、パキスタン人もたくさんいたんです」
そう語るのはザヒッド・ジャベイドさん。やはり埼玉県東南部の八潮市で、パキスタンレストラン「カラチの空」を経営している。

パキスタン料理といっても日本人にはなじみが薄いが、インド料理にもよく似ている。シチューの一種であるハリームなど煮込み料理が多いこと、イスラムの国らしく羊が好まれていることが特徴だろうか。カレーや、炊き込みご飯ビリヤニもいける。
