自分がやるはずだから「感謝」が生まれる

こういう考えだから、「なんでシャツがないんだ」「疲れてるんだから早く飯を用意しろ」なんてことにはならない。シャツを用意すべきなのは自分だし、ご飯を食べたければ自分でつくれば?で話は終わりだ。

キレイな家に住みたきゃ自分で掃除すればいいし、おいしいご飯を食べたきゃ自分でつくればいい。以上、解散。

「自分のことは自分でやる前提」だと、どちらかが「手伝う」という発想にならないし、「どう分担するか」でモメることもない。「自分のことなら自分でやれ」なのだ。

とはいえ、いっしょに暮らしていれば「自分のこと」と割り切れるものばかりではない。夫婦生活において、自分の皿しか洗わないのは現実的じゃないだろう。やるなら相手のぶんもやる。

そうすると「本来は自分がするべき家事を相手がしてくれている!」と考えるから、「自分の洗濯物も洗ってくれてありがとう」となるし、「今日は時間があるから自分が家事をしよう」という、いい循環がうまれていく。

だからドイツでは、「家事」をめぐる空気がそんなにギクシャクしていないのかな、と思う。

こちら80年代のベルリン。人を招くのを普通にしておけば、「招きたい家をキープする」ことにつながる Photo by atlantic-kid/iStock