事故で半身不随…サッカー「消えた天才」を救った、妻の深くて強い愛

誰よりも、大切な人だから
現代ビジネス編集部 プロフィール

決断のときの答えは、いつも「いいんじゃない」

転院した羽中田のつらいリハビリの日々が始まった。

だが、何も希望が見いだせない羽中田には、リハビリに対するモチベーションが最初から涸れていた。

トレーニングには実が入らず、毎回のように食事を残して、婦長から怒鳴られることもあった。

リハビリを初めて10日が過ぎ、羽中田は本気で病院からの脱走を考えるようになっていた。

そんなときだった。看護師が「面会ですよ」と羽中田に告げた。

転院を知る人は少ない。不思議に思いながら面会室に向かう。

たどりつくと、そこには小柄な女性が待っていた。

「へへっ、来ちゃった」

そこには、別れたはずの、二度と会うことがないはずのまゆみさんが、懐かしい笑顔を浮かべて立っていたのだ。

「なっ、なんで?」と戸惑う羽中田に、まゆみさんはちょっと拗ねたように切り出した。

「別れようって言われたけど、私はそのつもり全然なかったから」

まゆみさんの口元に笑みがこぼれる。彼女のおおらかな笑顔に、固く閉ざされていた羽中田の心が溶かされていく。

〈まゆみちゃんとはもう別れたんだと自分に言い聞かせていたけど、心の奥ではこうして来てくれることを待っていた。車イスに乗った身体では、彼女を幸せにすることはできないかもしれない。でも、彼女のために生きていたい。もっと前向きに生きていこう〉

まゆみさんとの再会をきっかけに、羽中田は変わった。

つらいリハビリにも積極的に取り組むようになった羽中田は、3ヵ月後の1984年2月に退院した。

その後、羽中田は懸命の受験勉強を経て、山梨県庁の職員採用試験に合格し、晴れて社会人となった。その間に短大を卒業し、地元の幼稚園に就職したまゆみさんと、1989年3月に結婚した。

八ヶ岳高原ロッジでの結婚式

それから30年。2人が歩んできた道はデコボコだらけ、挑戦に次ぐ挑戦の連続だった。前向きな羽中田もさすがに悩むこともあった。そんなとき、いつも明るく天真爛漫に背中を押してくれたのは、まゆみさんだった。

たとえば、県庁を退職し、サッカー指導者になるため、バルセロナに留学したいと相談したとき、返ってきたのは、たったひと言だった。

「いいんじゃない」

あまりに気軽な同意に心配になった羽中田は、「もうちょっとじっくり考えて……」と不平を漏らす。それに速射砲のような反論が返ってきた。

「言いたいことはわかってる。お金のこととか心配だよね。でも、まーくんが何をしたいかってことのほうが大事だと、私は思うの。お金のことはなんとかなるよ。最初からこうなるって決まっている人生よりも、何が起こるかわからないほうがワクワクするじゃない? ね」

バルセロナでの留学時代。同じくサッカー指導者を目指す仲間と

一事が万事、こうだった。

その後何度も、壁に跳ね返されそうになったとき、崖っぷちに追い込まれたとき、いつも前を向かせてくれ、背中を押してくれたのは、天真爛漫なパートナー・まゆみさんだった。

まゆみさん曰く「世界一目線の低いサッカー監督」は、現在、サッカー中継の解説の仕事をしながら浪人中。最近、卓球とピアノの面白さに目覚めて猛特訓中らしい。

2人がこれからどんな挑戦をしていくのか、楽しみでならない。

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