ファーウェイ事件とは何だったのか? その既視感とトランプの恐怖心

歴史は繰り返さないが、韻を踏む。
池田 純一 プロフィール

多くの技術の源泉が、もともとは中国にあり、近代的な官僚制すら中国では宋の頃には完成されていたと言われる。

中でもAIとの関わりで言えば、デジタル技術の根底をなす「0と1」からなるバイナリーシステムの着想のきっかけは、考案者の一人である17世紀の数学(のみならず万学)の巨星であるライプニッツが、当時、イエズス会士が中国からもたらした文物の中にあった「陰陽(インヤン)」の発想に出会ったことにあったのだという。

そんな話を聞くと、サイバーワールドにおける中国の台頭とは、デジタル機構のオリジナル考案者である中国への回帰を意味することになる。このオリジネーターへの回帰は、一つのスキャンダルである。

技術は知が具現化したものと言われることを考えると、この西洋と中国の立場の逆転の影響は大きい。だから、キッシンジャーも「啓蒙の終わり」に嘆息してしまう。啓蒙の終わりとは、近代の終わりであり、その終わりをもたらす情報技術の結晶であるAIを通じて、近代の幕開けを刺激した中国的な想像力の世界に回帰するのだから。それは単なる不安や恐怖どころではない。一種の文明的敗北をも示唆するからだ。

こちらの十八番と思っていたものが、実は敵対者に由来するというのだから、目の前の勝負に勝っても負けても、根本のところで敗退していることになる。この西洋と中国の立場の逆転は、これはこれで神話かなにかと思わずにはいられない。

だから、現在の5Gを巡る議論は確かに「過去の繰り返し」ではなかった。韻を踏んでいるだけのことで、結末は異なる。

30年前の衛星放送×HDTVを巡る事件は、言ってしまえば、冷戦を越えて20世紀的(=近代的)なものを完成させる方向に向かう争いだった。対して5Gを巡る現在進行形の事件は、20世紀的(=近代的)なものを完了させ、その次を探るきっかけなのだ。それが過去への回帰を意味するのか、全くの別ルートを開くのかは、それこそこの先を実際に見てみるしかない。

 

中国のベストセラーSFが描く「未来」

面白いことに日本では、折しもこの7月、中国のベストセラーSFである『三体』の翻訳が出版される。

異星人による地球侵略、という古典的なSFのテーマを扱ったこの作品は、中国系アメリカ人で、自身もSF作家であるケン・リュウによって翻訳されアメリカに紹介された。その結果、翻訳SFとして初めてヒューゴー賞を受賞した。つまりアメリカでも高く評価されたのだ。

この作品は、文明の差が決定的な異星人による地球侵略計画を事前に知った地球人がその襲来に備える、というのが基本プロットだ。そして、この構図は、出版当時から、かつての中国と西洋諸国(というよりも西洋列強)との関係に類比的であるという指摘がされていた。2つの文明間の単純な優劣の決定という形で終わらないのがSFの醍醐味であるが、果たしてそのような「想像力」は、この5G闘争にどのような洞察をもたらすのか。

といっても、たまたま、このタイミングで翻訳を手にするのは日本人だけなのだが、とはいえ、このタイミングの一致に何かインスパイアされるものはないのか。

ことが名状しがたい不安に苛まされて生じた「生存リスク」を賭けた争い――安全保障上のリスクとはそういうものである――であるだけに、この「異文明間対決」がもたらす想像の余白から何か得られるものもあるのかもしれない。

なにしろ、「歴史は繰り返さない、だが、韻を踏む」のである。この点で、実は『三体』は未来を先取りしていたという評価がなされたりしたら面白い。なぜなら、韻を踏んだ先を描くのは、他でもない人間の思索にあると示しているのだから。