武士として異例の出世を遂げた平清盛。彼には白河上皇の落胤説がついて回ります。
『平家物語』は次のように述べます。上皇が祇園女御という女性のもとへ通っていたある晩、途上で恐ろしげな鬼に遭遇した。討伐を命じられた平忠盛は直ちに刀を抜くことをせず、静かに近寄って確かめた。するとそれは鬼などではなく一介の老いた法師であって、灯りと身につけた雨具の具合で大きな物の怪に見えたことが判明した。
無益な殺生を回避した忠盛の冷静さと勇気に感じ入った上皇は、祇園女御を忠盛に賜った。彼はありがたく美女を連れ帰るのだが、どうやら彼女が妊娠しているらしいことに気付いた。そこで機会を捉えて上皇にその旨を報告すると、生まれてくる子が女児なら朕が子として手元に置こう、男児ならそなたの子として武門の後継者にせよ、とのお言葉を頂戴した。
やがて子が生まれると元気な男子であったので、忠盛は喜んで大切に育てた。それが清盛で、人々はそうした事情を知っているので彼がたいへんな出世を遂げても、さもありなんと納得したのだ。
上杉謙信が女性だという説は八切止夫という小説家が主張して以来ささやかれ続けていて、それを否定する、つまり謙信は男性だと正面から立証するのはなかなかの難事です。それと同じで、当然ですがDNA鑑定ができないわけですから、清盛が本当は誰の子かを突き止めるのは困難なのです。まさに実証の限界といえます。
こんなときに威力を発揮するのが論理性です。
たとえば、こう反論したとしましょう。貴族にとって武士という存在は、あくまで一段低いものと見なされていた。たとえば同じ『平家物語』は、先例を破って武士として初めて昇殿(内裏清涼殿の南廂にある殿上の間に昇ること)を許された忠盛に対し、貴族たちが分不相応であるとして闇討ちを仕掛けたことを記している。それゆえに既得権益者である貴族にとって、清盛の太政大臣への昇進と平家一門の栄華はあってはならないことだった。
けれども実際には,そうしたことが眼前で起きている。やむなく彼らは,清盛落胤説を産み出し、不愉快な自己を納得させようとしたのではないだろうか。
さて、この理屈は説得力を持つでしょうか。
『平家物語』の記述を否定する材料として使えるのか否か。それを考えることは誰にでもできます。みんなで話し合うこともできるのです。
だからこそ、ぼくたち歴史研究者は,もちろん研究の分野では実証性にこだわらなければいけませんが、社会に対しては重箱の隅をつつく実証よりも、より明快な論理を以て働きかけねばならないと思います。
だれもが「知性」を武器に議論に参加できる、「歴史を楽しむ」土台を提供することが重要だと思います。
第3回その②につづく!