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なぜ親日? 日本の文化を大切に守る「パラオ人」の国民性

公用語が日本語の地域も

あだ名が「カズエ」の人も

日本から南におよそ3200㎞、太平洋の西端にパラオ共和国は浮かんでいる。人口はわずかに2万人を超える程度、面積は東京23区の4分の3ほどという小さな島国。それでも、暖かい気候と美しい海を求めて、日本人だけでも、毎年2万人以上の観光客が訪れる。

この国を歩く日本人が驚くことがある。飲食店にあるテレビで、当然のようにNHKが日本語で放送されているのだ。

 

さらに、「カズエ」「テルヨ」など、本名とは別に日本語のあだ名を名乗るパラオ人もいる。完璧ではなくとも、断片的に日本語を解する者も多い。

遠く離れたリゾート地に、日本文化が浸透している。その理由は、遡ること1945年まで、パラオが日本の委任統治領だったからだ。委任統治とは、簡単に言えば、一種の植民地制度である。

日本の委任統治領当時のコロール

1919年、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、パラオは日本の委任統治領となった。結果、学校では日本語が教えられ、通貨として円が用いられた。この文化統制が第二次世界大戦後の1945年まで続いたため、当時の名残をとどめているのだ。一説には、パラオ語のうち25%が日本語由来だという。

実は、パラオのアンガウル州では、現在も日本語を公用語として定めている。日常的に使うことはまれだが、この地区の高齢者は、流暢な日本語で会話できる。また、学校では日本語の授業があるため、子どもたちもまた、簡単な日本語ならば話すことができる。

意外にも、高齢のパラオ人は、日本による統治時代を恨んではおらず、むしろ「楽しい時代だった」と述懐するという。パラオは戦後、1994年までアメリカの統治下に入る。だが、自由主義のもとに、教育や労働はすべて放任され、パラオの文化は停滞してしまう。

この背景もあり、「日本人はパラオの経済を発展させ、文化的な生活を推進してくれた」と感謝しているのだ。彼らのおおらかな心によって、日本の文化は今も大切にされている。遠い島国の温かさが、我々を惹きつけるのかもしれない。(森)

『週刊現代』2019年7月6日号より