労働法がなくなる日〜だから日本人は「自助力」を磨かなればならない

老後2000万円問題が突きつけた現実
大内 伸哉 プロフィール

ただ、将来に向けた政策を考えるときには、こうしたアプローチは的を射たものではなかろう。

労働法は「公助」を基本とするアプローチだが、これからの自由な働き方に適合的なのは「自助」の精神によるアプローチだ。

折しも「老後2000万円問題」は、老後に向けた資産形成で、公助から自助にシフトしなければならない現実を、国民に突きつけた。これは労働に関しても同じなのだ。

将来の予測の難しいデジタル経済社会において、自分たちの職業人生の未来を政府の政策に依存するのはとても危険だ。政府は庇護者になることはできないし、なるべきではない。国民が頼りにできるのは自分自身しかないのだ。

もちろん、このことが、国民を自助の海に放り込んで終わりとするものであってはならない。

政府は、国民が政府の力に頼らなくても変化の時代に適合していけるような自助力を高めるシステムを構築すべきなのだ。

海で泳げない人を、船で特定の目的地に運んでしまうような政策ではなく、泳ぎ方を教えて本人が好きな目的地に行けるようにする政策が必要なのだ。

具体的には、政府は、国民が職業人としての基礎的なリテラシー(契約や法律、金融、情報に関するリテラシーなど)や知的創造性を発揮するために必要な教養(Steam教育など)を習得したりできる教育カリキュラムを整備すべきだ。これは、「親方」として自立するための「修行」の場を設定するようなものだ。

このほか、個人で取引する際の契約ルールを整備すること(書面での契約締結の義務化など)や、どうしても職業人としてうまくいかなかったときのセーフティネット(その点では、会社員に有利すぎる社会保障システムは見直す必要があろう)も、政府が提供すべき公助に含まれよう。

 

令和の時代に合った輝き方

独立した働き方にともなうリスクを完全に取り除くことはできない。

政府が庇護者のように優しい顔をした政策は、人気取りのためだけではないかと疑ったほうがいい。そうした政策は、国民をリスクに脆弱にさせるだけの無責任なものとなる可能性が高いからだ。

残念ながら、日本が、昭和の時代の高度経済成長のような輝きを取り戻すことは期待すべくもない。

ただ令和の時代には、それに合った輝き方があるはずだ。少なくとも平成の時代の停滞を繰り返してはならない。

そのためには、国民がまず意識を変え、政府に何を求めるべきかをよく考えてみる必要がある。