労働法がなくなる日〜だから日本人は「自助力」を磨かなればならない

老後2000万円問題が突きつけた現実
大内 伸哉 プロフィール

工業社会の到来により、農奴から解放された農民は、土地から引き離され、またギルドの解体により自由を得た手工業職人も、機械に仕事を奪われ、どちらも生活のために、工場で雇われて賃金を得る状況に追い込まれた。

そして、効率性を徹底的に追求した分業生産システムの下、機械のごとく単純業務に従事する毎日となった。

 

このときの経営者と労働者との関係は、形式的には自由で対等な立場で結ばれる雇用契約だった。これは「身分から契約へ」と進化したと言えそうだが、工場内で実際に起きていたのは「契約を通した身分の設定」だった。

契約上は、労働と賃金の交換がなされるにすぎず、経営者は労働者を支配はするものの、庇護の義務はなかった。

そこで、雇用契約に庇護の要素を取り込もうとしたのが、ドイツを中心として欧州大陸で展開された従属労働論だった。

企業に従属して働く労働者階級のために法が介入すべきとする従属労働論は、労働法の基本原理とされ、日本の労働法学にも大きな影響を及ぼした。

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もっとも日本では、前述のように、高度経済成長期を通じて、労働法の存在感は大きくなかった。

多くの経営者は、あたかも領主や親方のごとく、労働者に忠誠心を求める一方で、生活の安定もしっかり保証していた。

「契約を通した身分の設定」はあるが、日本的な雇用システムが、労働法の代わりを果たしていたのだ。

ただ非正社員には、こうした庇護は及んでいなかったため、その地位に社会的関心が集まると、政府は労働法上の庇護を及ぼそうとしたのだ。