『わた定』吉高由里子が必死で対峙した「仲間みんなで戦う」圧力

同クールのドラマと比べてわかったこと
堀井 憲一郎 プロフィール

『HERO』もまた、検事たちの話だから、チームの物語ではなかった。ときに一緒に働くこともあるが、基本、それぞれの検事は、それぞれの事件を担当していて、個々に仕事をこなしていく。検察事務官とはコンビを組むが、これも明確に主従が分かれている。

個人プレイ仕事なのに、ドラマのタイトルは「集団チーム」のように描かれていた。

『ラジエーションハウス』もそれを踏襲しているように見えた。

『わたし、定時で帰ります。』はチームに振り回される「個人」を描き共感されていた。

いっぽうで個人的に責任を負う部分が多い医療現場では、一種の幻想としての「チームの戦い」が描かれていた。定時で帰りたい人が戦うべきなのは、ひょっとしたら、「かっこいい青春群像劇の幻想」ではないかとおもってしまった。

 

同調圧力を破る女性

警察官ドラマもチームと個人のドラマである。

警察ドラマは、大人数の捜査チームが形成され、その一員として働く刑事たちが描かれる。主人公はだいたいそのチームから突出し、禁じられている個人行動に出て、事件を解決していく、というのが基本パターンになる。

このクールの警察官ドラマ『ストロベリーナイト・サーガ』もしっかりそうだった。姫川刑事は女の勘で事件を解決していく特殊な捜査官である。チームの仕事だからこそ、個人を描いている。

チームの規律を守らず、でも人を守っている姿がかっこよかった。

『わたし、定時で帰ります。』は、何も規則は破っていないし、規律も破っていない。でも、日本でもっとも強い「場の空気(同調圧力)」を破って行動する女性を描いていた。つまりウェブディレクターを演じる吉高由里子と、警部補を演じる二階堂ふみは、同じものを相手に戦っていたわけである。

そしてその戦う相手は、ひょっとしたら「ラジエーションハウスのタイトルバックに使われる「職場のみんなが仲間として戦っているという幻想」だったのかもしれない、とこのクールのドラマを俯瞰しながら、ふとおもった。