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被疑者は言った。「警察って、そんなことまでやっていいんすか?」

話題作『刑事弁護人』第1章を特別公開
罪を犯したかもしれない人物の車に、警察が勝手にGPS端末を取り付け、徹底的に行動を把握する行為を繰り返していた――。令状なき捜査は許されるのか。警察が一般市民の行動確認を行う危険性はないのか。
2017年に「令状なきGPS捜査は違法」の最高裁判決を日本で初めて勝ち取った弁護団。その弁護団を率いた女性弁護士の奮闘やチームの苦悩・活躍を描いた本『刑事弁護人』。
本書から、事件の受任を描いた第1章を無償公開する。

弁護の依頼から、日本裁判史上に残る「GPS事件」に発展していくまでの記述は、すべて実話でありながら、まるで小説のようなストーリー展開を見せていく。

第一章 受任

 

「黒田ってヤツが捕まったから、大阪府東警察署に行ってくれませんか」

弁護士法人・大阪パブリック法律事務所(以下、大阪パブリック)の弁護士、高山巌のもとに、刑事弁護の依頼が舞い込んだ。2013年12月11日のことである。

逮捕された黒田の容疑は、同年8月に大阪府C市ほかで駐車中の自動車から、ナンバープレート2枚を盗んだというものだった。

このころの高山は多忙を極めていた。もともと朝日新聞社の記者だったが、5年で退社し、京都大学法科大学院を経て弁護士になった高山は、国家権力の横暴に憤り、検察官や警察官の対応に怒る生粋の刑事弁護人だった。数々の事件で無罪を勝ち取り、刑の減免も何度も実現させている。

実績を誇る高山のもとには、刑事弁護の依頼がひきも切らない。すでに仕事が山積みで黒田の十分な弁護を自分で引き受けるのが難しいと判断した高山は、左隣に座っていた二期後輩の弁護士である亀石倫子に声をかけた。

「店舗荒らしみたいなんだけどさ、亀石さん、行ける?」

弁護士登録5年目の亀石は、高山から刑事弁護のイロハを教わった。その大先輩の申し出を断る理由はなかった。

「もちろん行きます」

接見

逮捕から72時間以内に裁判所から勾留決定が得られなければ、捜査機関は被疑者を釈放しなければならない。警察はその3日間で、勾留するに足る証拠を揃え、被疑者から自白を引き出そうと躍起になる。だが、黒田は警察の取り調べに最初から全面的に協力した。証拠も揃い、12月6日には大阪簡易裁判所から「勾留状」が発付された。

勾留決定の日から10日間、そして原則として一度だけ認められる延長によって、さらに最大10日間の勾留期間が認められる。つまり、逮捕の日から数えて最大23日間で検察は起訴・不起訴の判断を下さなければならない。被疑者の勾留期間を長くしたければ、被疑者を「別件」で再逮捕・再勾留すればいい。再逮捕時点からふたたび「新しい23日間」が起算される。いったん起訴されると「被疑者」は「被告人」となり、刑事裁判の当事者となる。

刑事弁護人にとって、この23日間はその後の弁護活動をするうえで非常に重要である。被疑者が被疑事実を認めている場合であっても、この期間にできるだけ被疑者と接見し、事件に至る経緯や動機、背景事情などについて詳細に聴取し、被疑者と信頼関係を築きながら、起訴後の弁護活動に必要な手を打っておかなければならない。

亀石は、その日の夕方に黒田に接見するスケジュールを組んだ。

大阪は、刑事弁護に熱心な弁護士が日本でもっとも多い地域と言われる。大阪パブリックは、刑事弁護の世界で名の知れた弁護士が数多く在籍する事務所だった。この事務所の弁護士たちは、一度に抱える刑事事件の数が他の弁護士と比べても多く、誰もが常に20件から25件ほどの刑事事件を抱えていた。

被疑者や被告人に接見するために、警察署や拘置所に頻繁に通う。複数の公判が重なれば、裁判所に入り浸る日も多い。事務所にいても、その日にあった出来事について、そこかしこで弁護士同士の議論が交わされた。

「この手続きはどうやればいいの?」

「警察に行ったらこんな扱いを受けたんだけど、ちょっとおかしくないか?」

刑事事件は「即時の」判断を求められる。その意味で、刑事弁護人としての職人的な能力の高い弁護士が多く在籍していた。

もともと大阪パブリックは、大阪弁護士会の支援を受けて運営される「公設事務所」だ。刑事事件に特化した「刑事公設事務所」と、民事事件に特化した「民事公設事務所」が統合されている点に特徴がある。多くの公設事務所は過疎地で不足する弁護士を補う性格を持つが、大阪パブリックは刑事事件に重点を置く「都市型公設事務所」という位置づけだ。その性格からか、大阪地方裁判所北門の目の前に事務所を構えている。

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すでにあたりが暗くなった午後6時、亀石は大阪府東警察署に向かった。正面入口から留置管理課へ通され、亀石は必要な手続きを経て指定された接見室に入った。

頑丈なコンクリートの壁に囲まれた接見室の中央には、被疑者と弁護人を仕切る分厚いアクリル板がある。窓はなく、狭い。照明も暗く、壁や扉など内装はすべて古くさかった。被疑者側に一つ、弁護人側に三つの椅子が置かれている。

弁護人が被疑者に接見する際は、弁護人が先に接見室に入ることが多い。被疑者を待つ弁護人はたいてい椅子に座る。やがて留置管理官に連れられて被疑者が入ってくる。このとき、座ったままで挨拶する弁護士が多い。被疑者は立ったままで姿勢を正し「よろしくお願いします」と言って頭を下げる。この短いやり取りで、弁護人と被疑者の間に厳然たる上下関係が形成されることになる。

大阪パブリックは、その姿勢を許さない。被疑者が入ってくるまで、椅子には座らず立ったままで待つ。留置管理官が被疑者を連れて入ってきたら、弁護人のほうから「よろしくお願いします。弁護人の○○です」と語りかける。アクリル板越しに名刺を見せ、被疑者が座るのと同時に自分も座る。被疑者との信頼関係を構築するうえで、欠かせないルーティーンだった。いったん上下関係が形成されてしまうと、被疑者が腹を割って話してくれなくなる。たとえ相手がアクリル板の向こう側にいたとしても、民事事件の依頼者と同じように接するのが常だった。

そこまでしても、たいていの被疑者は接見室に入って亀石を見ると、一瞬、失望の色を目に浮かべる。

「あ、女か」

「頼りなさそうだな」

「若いから、たいして事件(の弁護)をやっていないだろう」