偉大なる企業家・小林一三が語る創業と人生の秘話

【5分de名著】小林一三『逸翁自叙伝』①
講談社学術文庫 プロフィール

岩下氏もまた、北浜銀行の増資、すなわち三百万円の資本金を千万円に増資することがなかなか進まない。景気は面白くないようである。

 

私の周囲の光景は、明治四十年一月、二月、ほとんど悲観材料に包囲されておったのである。この時において突如、私は再び三井物産会社常務重役飯田義一さんから吉報を受けたのである。

「天下茶屋に家を建てないか?」友人からの甘い誘い

2.阪鶴鉄道に拾われて

その頃天王寺烏ケ辻町付近は、高丘の一面は小松原、低地は水田、人家がまばらに点散する閑静な別荘地であって、桃山停車場[桃谷駅の旧称]前の大通りには、天下の米相場師阿部彦[阿部彦太郎]と中外綿会社中野太右衛門氏の広大なる邸宅があるばかり、私達借家の東の日露戦役に使用した軍用敷地跡の五、六千坪は、一坪五円ならば買えるという時代であった。

私は大きい希望と、野心と、夢のような空想を抱いて大阪へ帰って来たものの、北浜証券会社設立の計画などは、北浜銀行も島徳株式店も、てんやわんやの騒ぎで、とうてい見込がない。

当分は浪人と覚悟はしたものの、生れて初めて無職に落ぶれる心細さに、食うには困らぬというだけで、毎朝働きに出かける永年の習慣から、サテ、出掛けなくてはならぬ義務の無い身分になると、二日、三日と宅に引篭って遊んでいるのも退屈で仕方がない。

あても無く飛び歩くのも気がひけて、我ながら意気地なく、しばらく子供相手に無聊を慰めている若隠居で、くさくさしている折柄、友人の宗像半之輔君が誘いに来てくれた。

宗像君は、日露戦役前後から家業の石炭が大成功、天下茶屋に新築の邸宅が出来てなかなか威勢がよい。「僕は今、この付近一帯の土地を三万坪ばかり持っている、はじめ、ここに家を新築して高麗芝の庭をつくったところ、その芝が一坪七、八十銭だ。

その芝をつくっている土地が一坪一円五十銭から二円だ。こんな馬鹿げた理屈はないと思って、出来るだけ土地を買いあつめた。僕が買ってからこの付近は多少値上りしていたそうだが、ほしければ二、三円も出せば、いくらでも買える。君も大阪人になる決心をしている以上は、この天下茶屋に邸宅を新築してはどうか」という話であった。

次回につづく