偉大なる企業家・小林一三が語る創業と人生の秘話

【5分de名著】小林一三『逸翁自叙伝』①
講談社学術文庫 プロフィール

岩下氏はその当時の内閣総理大臣たる桂公との関係から、戦争直後、満州進出を勧められ、満州における日本の経済的特殊の地位を確立するには、日支の共存共栄を目的とし、合弁事業を行うも一案なりとして営口水道株式会社を設立し、自らその社長となりたるを手初めに、漸次満州経営に主力を注がんと計画中であった。

 

米人ハリマン氏の勧誘に応じて、桂首相は東清鉄道を売渡さんとし、すでに廟議決定した際は、幸いに小村[寿太郎]外相が反対説を主張したが、もし桂首相が小村外相の主張を無視するがごときことあらば、まさに国家の一大事と、多年の情誼を断絶し、大阪において大演説会を開き、南満鉄道保全と、その経営会社設立を世論に訴え、同時に政府弾劾の烽火を揚げんと計画したるがごとき、岩下氏の面目躍如たりと言うべしである。

これは必ずしも岩下氏の気焔にあらず、天下の機運はここに南満鉄道株式会社の設立となって、岩下氏はその監事に推挙せられ、東京にあっては万歳生命保険会社を発起創設し、名古屋には豊田佐吉氏を援助して豊田織機会社、豊田自動車会社等の前身会社を設立せしめたるがごとき、いずれも三十九年頃からの好景気に恵まれた成績で、まさに順風に帆を上げて猛進したのである。

電灯のない町に先輩家族と移り住む

この時において、私の先輩である平賀敏氏も、三井銀行大阪支店長を勇退すべく、そして各種事業の計画に参与しておったのである。大阪築港も、いよいよ実行せられんとするのであった。

築港工事に必要なるセメント会社の設立、築港埋立地の計画と土地会社の設立、その埋立地に鐘淵紡績分工場の新設(これは鐘紡株主が増資を要請せるに対し、増資代りに新会社を設立せんとしたる武藤山治氏の計画であった)等、財界方面にては我国において初めて試みんとするビルブローカーの営業(これは藤本清兵衛氏によって実現した)等、同氏は各方面から引張凧の人気ものであったのである。